2021.11.1

寄稿:心友会だよりNo.199 2021年秋 別冊 「特集号」

日本勧業銀行本店・第一勧業銀行本店・みずほ銀行内幸町ビル、そして次世代へ
芦原建築設計研究所 所長 芦原太郎


日本勧業銀行本店の建築と芦原義信の街並みの美学
私の父で建築家の芦原義信は、パリなどヨーロッパの整った街並を研究して日本の街を美しくすることを目指し、『街並みの美学』を提唱していました。
国会議事堂から一直線に内幸町に向かう広い道が敷地いっぱいに建つ日本勧業銀行本店の建物にぶつかって見通しが悪くなっていることが気に掛かり、知り合いであった日本勧業銀行の横田郁さんに、「もしあなたが頭取なられたら、横に広がった建物を縦にすっきりした高層ビルにする、横田さんが縦田さんになったら街並みは美しくなりますね」と話していたそうです。
その後、1971(昭和46)年に日本勧業銀行と第一銀行が合併して横田氏は第一勧業銀行初代頭取に就任され、1973(昭和48)年になって「内幸町新本店を君の言っていたような高層ビルにして合併のシンボルとしたい」と父に設計依頼があったとの冗談のような本当の話です。


合併を象徴し、トップバンクに相応しい第一勧業銀行本店建築
新本店は1977(昭和52)年に工事着工して、合併10周年を記念する1981(昭和56)年に完成しました。「新本店を合併の象徴として日本のトップバンクを目指す」との新銀行の熱い思いを受け、父の事務所は総力をあげて設計に取り組み、私も新入社員ながら関わることができました。
新銀行への思いを託したハートのシンボルマークが、交差点に面した時計タワーから建物の扉や手すりなどの金属部に至るまで随所に登場していることに気付いた方もいらっしゃると思います。
本店建設準備室からは合併が上手く機能するよう細かな配慮が求められ、例えば役員用エレベーターにはD側とK側のトップが乗り合すことを考えて、並んだ2隻のベンチが壁面に設けられています。
また、ライバル銀行の本店建築を調査して、華美にし過ぎることなく他行を少しは凌ぐ建築とするようにとの指示も受けました。
日本のトップバンクに相応しい社会文化献を目指し、サンクンモールやポケットパークなどの公共的空間を計画して景観や街並みへの貢献を図り、営業部フロアに鎮座する巨大なマンズーの彫刻など多くの芸術作品を配して文化的にも質の高い空間づくりを行いました。


新たな再開発計画によるみずほ銀行内幸町ビルの解体
竣工から40年経った今日、内幸町一丁目街区都市再開発プロジェクトが立ち上がり、現在のみずほ銀行内幸町ビルも、帝国ホテル、NTT、東京電力のビルと共に順次解体されることになりました。
建設当時は誰もこんなに早くこのビルを壊す日が来るとは考えませんでしたが、社会の変化は急速に進み、計画ではショッピングで賑わう丸の内仲通りが内幸町まで延長され、新しく店舗やオフィス、ホテルなどの建設が予定されています。
今から約20年後、再開発が完成している頃には、内幸町の街やみずほ銀行は果たしてどのように変貌を遂げているのでしょうか。
いつの時代にも建築や街は社会と共にあり、歴史の変貌を記憶し、記録し続けてくれているはずです。

諸元

発行
瑞朋会心友会部会
発行日
2021年11月1日