掲載年月 | 掲載誌 | 発行 | タイトル | 執筆者 | 書き出し・抜粋文章 | 備 考 |
2000 82歳 | ||||||
2000-00 | 教育教材ネット研究所 | 2000 駒沢大学高等学校 国語 | 著書「東京の美学 混沌と秩序」 | |||
2000-00 | e-box | 日本オーチスエレベータ | 都市とエスカレータ 都市的賑わいを生み出す、出会いの場 |
芦原義信(建築家) | 東京芸術劇場 | |
2000-00 | The First Five Hundred | PROFESSOR YOSHINOBU ASHIHARA,LFIBA,DDG,IOM | ||||
2000-01 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | インターナショナル・スタイルとの出会い | 対談 篠田桃紅(美術家) 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授・本会名誉会員) |
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2000-01 | ぎおん | 祇園甲部組合 | 心はずむ町 | 芦原義信(建築家) | ||
2000-01 | STAGE2000 | 弘叡会 | 建築家という職業は、医者と芸術家の真ん中にある。 | 芦原義信 | ||
2000-02 | 初学者のための 都市工学入門 |
鹿島出版会 | 高見沢実 | |||
2000-03 | e-box | 日本オーチスエレベータ | 建築とエスカレーター 都市的賑わいを生み出す、出会いの場 |
芦原義信 | ||
2000-03 | 教育と施設 | アウゲ/リブロサービス | 21世紀へ 「夢の学校」 夢はフレキシブルな教育 |
芦原義信(建築家) | ||
2000-04 | 都市を巡るオギュスタンベルク連続対談 都市、建築空間の場所性 |
宮城大学 | 「隠れた秩序・ヨーロッパと日本」 | 対談 オギュスタンベルク 芦原義信 |
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2000-05 | 朝日新聞 | 朝日新聞社 | 建築学会賞の中央公論ビル解体 壊す日本 名建築残せず |
記事(清水弟) | 中央区京橋二丁目にある「中央公論ビル」の解体工事がこの春、始まった。日本を代表する建築家の一人、芦原義信さん(81)の出世作で一九五六年完成、日本建築学会賞を受けた名建築だ。芦原さんは「僕より命が短くて……」とがっかりしている。 | 中央公論ビル |
2000-05 | 建設通信新聞 | 櫛風沐雨の時代 警鐘を込めて「建築は文化だ」 もっと街並みへの意識を |
芦原義信 | 「櫛風沐雨(しっぷうもくう)」。風雨にさらされて辛苦奔走すること、さまざまな苦労を体験するたとえで使われる。建設産業の発展の歴史を振り返るとき、その時代時代において多くの櫛風沐雨する人びとのドラマがあった。こうした苦難を乗り越え現在の建設産業がある。 | ||
2000-06 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 読者サロン 「中央公論ビル」の死を悼む |
山口廣 | 「中央公論ビル」は、この文章が読まれるころには地上から消え去っている。 「中央公論ビル」は、昭和34年度日本建築学会賞を受けた作品である。設計者は、よく知るごとく芦原義信先生である。 | 中央公論ビル |
2000-06 | 住宅金融月報 | 住宅金融公庫 | 住まいと文化 | 芦原義信 水谷達郎住宅金融公庫) |
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2000-07 | 日経ビジネス | 若い人にチャンスを与えよ | 芦原義信(建築家) | 私の人生は、本当に人に恵まれました。実績もない私に大きな仕事を任せた恩人たちのおかげで、多くの仕事を成すことができました。 | ||
2000-07 | 軽井沢高原文庫通信 | 軽井沢高原文庫 | 軽井沢にて想いおこすこと | 芦原義信 | ||
2000-08 | 建築ジャーナル | インテリジェント対応できず、建替えに 中央公論ビル 1959年度受賞設計/芦原義信 |
大宇根リウヘイ | 今年2月、中央公論ビルが建替えのため、取り壊された。日本建築家協会も日本建築学会も保存要望書などはとくに出さなかったためか、いっの間にか、ひっそりと壊されていった感がある。 | 中央公論ビル | |
2000-08 | モダニズム建築の軌跡 | INAX出版 | 生活>建築 | 隈研吾 | ||
2000-08 | モダニズム建築の軌跡 | INAX出版 | 建築と外部空間の秩序を確立したパイオニア | 芦原義信 聞き手:内井昭蔵 |
日本に帰ってきてこれからどうしようかと思いながら丸ビルを歩いていたら、偶然、中央公論の栗本専務にあって「芦原君、何せているんだ!」と言うんですよ。「実はアメリカから帰ってきてすることなくてどうしようかなと思って考えているんです」と言いましたら、「実は今、中央公論社が創立70周年で、京橋にビルを建てることになっている。清水建設に頼んだけれど、君も案つくってだしてみなさい」といわれたんです。 | 中央公論ビル |
2000-08 | モダニズム建築の軌跡 | INAX出版 | 建築と外部空間の秩序を確立したパイオニア | 芦原義信 聞き手:内井昭蔵 |
あそこに100メートル幅の階段とパーッとした広場をぜひつくりたいと提案したんです。造園関係の方は、日本は木を植えなきゃだめだと言ったんですが。「ヨーロッパへ行くと、石畳のきれいなべネツィアの広場みたいなものがたくさんあるのだから、日本にも一つぐらい石の広場をつくりましょうよ」と一生懸命申し上げて、ついに「やろう!」ということになりました。 | 駒沢公園体育館・管制塔 |
2000-08 | モダニズム建築の軌跡 | INAX出版 | 建築と外部空間の秩序を確立したパイオニア | 芦原義信 聞き手:内井昭蔵 |
あれも階高が3メートル60センチ、それを4等分して90センチ下りる設計にしたいと言いましたら、ソニーでは「そんなことをして大丈夫か」と心配するんです。しかし、盛田さんが、「あそこは土地がものすごく高いから何を売っても採算が合わない、ショールームならただで見るだけだから、むしろいいかもしれない」と言ってくれたわけです。 | ソニービル |
2000-08 | 交詢雑誌 | 交詢社 | 建築と都市 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授・日本芸術院会員・芦原建築設計研究所所長) | ||
2000-10 | Forma-Foro | 武蔵野美術大学建築学科同窓会・日月会 | 建築との出会い | 芦原義信(武蔵野美術大学名誉教授) インタヴアー 林美樹 |
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2000-10 | 男の隠れ家 | あいであ・らいぶ | バラエティー 芦原邸 自然を満喫できる庭に面したサウナルームに設けた書斎 |
記事 | サウナ | |
2000-10 | ESPLANADE | INAX | フィンランドの風景 | 芦原義信(建築家・芦原建築設計研究所所長) | ||
2000-11 | 20世紀の定義 | 岩波書店 | 居住空間への眼差し | 陣内秀信 | 隠れた秩序 | |
2000-12 | 室内 | 武蔵野美術大学9号館 | 記事 | 武蔵野美術大学 | ||
2000-12 | Famiry | ソニー(株) | 盛田さんを偲ぶ | 記事 | ソニービル | |
2001 83歳 | ||||||
2001-00 | KEY-WORLD | ベスト | 変わる街並み、変わらない街並み | 対談 芦原義信(建築家) 太田博(ベスト会長) |
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2001-00 | 飛騨・世界生活文化センター | 岐阜県生活文化振興財団 | パンフレット | 飛騨・世界生活文化センター | ||
2001-00 | SCENE | 愛知 | 環境や文化を活かす観光へ | 渡辺文雄(飛騨・世界生活文化センター館長) | 飛騨・世界生活文化センター | |
2001-01 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 巻頭対談 行く世紀、来る世紀 建築会の源流から、21世紀の都市まで |
対談 藤島亥治郎(本会名誉会員) 芦原義信(本会名誉会員) |
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2001-02 | サライ | 小学館 | 家族で食事をするときはとりあえずホテルへ | 芦原義信 | ホテルは国内外とも仕事でよく使います。あまり頓着しないので、眠れてそこそこの食事ができればいい。昔、ニューヨーク・ヒルトンのドーンとした巨大さには感銘を受けましたね。ゆったりしていて、すべてが揃っている。知らない都市ではとりあえずヒルトン。安心感があります。 | |
2001-02 | 芸術新潮 | 新潮社 | 公開! フジタ最期の愉しき我が家 | 夏目典子 | 藤田嗣治 | |
2001-03 | FOCUS | 新潮社 | 負債3000億で破綻! 宮崎「シーガイヤ」の戦犯 | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
2001-04 | マルセル・ブロイヤーの住宅 | 鹿島出版会 | マルセル・ブロイヤーの想い出 | あしはらよしのぶ(建築家) | ・・・その後しばらくして、パリに行く途中「ブロイヤーは日本に立ち寄ることになった。その折、一緒に京都に旅行して、お茶室や寺院を見学したブロイヤーは、靴を脱いで座敷に上がるとき、欄間にぶつかりそうになったり、また床に転がりそうになったことを懐かしく想い出す。 | |
2001-04 | 建築ジャーナル | 建築ジャーナル | 新人にすすめる一冊の本 ベンワー・マンデンブロ著「フラクタル幾何学」 |
芦原義信(芦原建築研究所所長) | ||
2001-05 | 東京を歩こう | エックスナレッジ | 1119 第一勧業銀行本店 | 記事 | 第一勧業銀行本店 | |
2001-05 | 東京を歩こう | エックスナレッジ | 1155 渋谷インフォスタワー | 記事 | 渋谷インフォスタワー | |
2001-05 | 文化庁月報 | ぎょうせい | 独立行政法人の実施に思う | 高野悦子(東京国立近代美術館フィルムセンター名誉館長 岩波ホール総支配人) | 敗戦後の日本社会の混乱の中で、いち早く黄金時代を築いたのは映画界であった。人々に勇気と希望を与える映画は、正に娯楽の王者だった。だがその時、映画界の指導者たちは、日本映画の将来についての方策を考えに入れなかった。そして日本政府にも、"映画は重要な文化のひとつ"であるという認識がなかった。 | 東京国立近代美術館フィルムセンター |
2001-06-07 | 日本流通新聞 | 日本経済新聞社 | 「ビルはメディアだ ソニーに見るショールームの哲学 | ソニービル | ||
2001-07 | 財界 | 財界研究所 | あの倒産シーガイヤを日本初のカジノに | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
2001-07 | ひだ・みの情報 日本まん真ん中 |
岐阜県広報センター | 飛騨・世界生活文化センター館長 渡辺文雄さん |
記事 | 飛騨・世界生活文化センター | |
2001-07 | ひだ・みの情報 日本まん真ん中 |
岐阜県広報センター | イベント・コンベンションは飛騨で | 記事 | 飛騨・世界生活文化センター | |
2001-12 | a+u | エー・アンド・ユー | 「建築のアリバイ探し-9 交差点 | 記事 | ソニービル | |
2002 84歳 | ||||||
2002-00 | INTERNATIONAL BIOGRAPHICAL ASSOCIATION DIRECTORY | International Biographical Center | ASHIHARA Yoshinobu | 記事 | ||
2002-01 | 近代建築 | 近代建築社 | 飛騨・世界生活文化センター 建築計画 |
佐渡養順 | 配置・構成については、建物を機能にしたがって独立した4つの棟(イベントホール棟、小ホール棟、展示棟、レストラン・会議棟)に分けつつ、八角形のシステム回廊によってこれらを有機的につなぎあわせる方法を採用した。各棟が独立しながらも中央のイベント広場(「ふれあい広場」)を取り囲む、一体感のある配置空問構成となっている。 | 飛騨・世界生活文化センター |
2002-01 | 近代建築 | 近代建築社 | 石川県立音楽堂 建築計画 |
井上一、向田良文 | 建築計画にあたっては、南北に細長い敷地にふたつのホールを効率良く配置すること、駅前に立地することから、賑わいのある施設とすることなどがポイントになった。 | 石川県コンサートホール・邦楽会館 |
2002-02 | みなとみらい | みなとみらい21街区づくり協議会 | 「街並の美学」を託したMM21への夢 | 芦原義信(東京大学教授・建築家) | ||
2002-03 | 産経新聞 | 産経新聞社 | 東京今昔 池袋西口 東京芸術劇場 |
記事 | 東京芸術劇場 | |
2002-04 | 現代建築のコンテクスチュアリズム入門 | 彰国社 | 芦原義信の外部空間構成論 | 秋元馨 | ||
2002-07-22 | 建設通信新聞 | 建設通信新聞社 | 読売中公ビル 好立地の最先端オフィス |
記事 | 東京の中心圏の1つで東京駅にも近い中央区京橋に、この春、最先端オフィスビルが竣工した。読売新聞東京本社が建設し、中央公論新社とテナント各社が入居している読売中公ビルだ。 このビルは1956年竣工、芦原義信氏の設計、清水建設の施工の中央公論ビルが老朽化したため建て替えたもので、元施工、増築、改修を通して約40年間、旧ビルに関わった清水建設が設計・施工を担当した。 |
中央公論ビル |
2002-07-22 | 日刊建設工業新聞 | 日刊建設工業新聞社 | 読売中公ビル竣工 | 記事 | 読売新聞東京本社が東京・京橋の旧中央公論社ビル跡地で建設を行っていた「読売中公ビル」がこのほど完成した。 | 中央公論ビル |
2002-09 | 建築設計資料 88拡張型博物館 |
建築資料研究社 | 飛騨・世界生活文化センター | 佐渡養順(芦原建築設計研究所) | この美しい自然と調和をはかりながら建物を配置・構成することと、「飛騨の匠」などに代表される伝統的な「木の文化」を建築に生かし、取り入れていくことが設計上の重要なポイントであった。 | 飛騨・世界生活文化センター |
2003 85歳 | ||||||
2003-03 | 国立科学博物館新館(I期) | 国立科学博物館 | パンフレット | 国立科学博物館 | ||
2003-03 | 国立科学博物館新館(II期) | 建設工事共同企業体 | パンフレット | 国立科学博物館 | ||
2003-03 | 建設通信新聞 | 建設通信新聞社 | 国立科学博物館新館完成 | 記事 | 国立科学博物館 | |
2003-04 | 建築計画・設計シリーズ 商業施設II | 「立体プロムナード あるいは花びら式構造」 | ソニービル | |||
2003-04 | Sanko | 三晃金属工業 | SANKO-ARCHI-SPOT | 記事 | 飛騨・世界生活文化センター | |
2003-08 | 新建築 | 新建築社 | ソニーショールーム&クオリア東京 | グエナエル・ニコラ | このプロジエクトが始まる際に現地を訪れ、あらためてこの建築物のモダニティ、コンセプトの強さに感銘を受けた。私がリニューアルにあたってすべきことはこのビルの本質的な部分を再発見し、今の時代の強さを与えることだと感じた。 | ソニービル |
2003-10 | 武蔵野美術大学 大学案内 | 武蔵野美術大学 | 学長対談 | 長尾重武 内館牧子 |
武蔵野美術大学 | |
2003-10 | 近代建築 | 近代建築社 | 国立科学博物館 新館 | 記事 | 国立科学博物館新館の設計にあたっては、「国際的な視野に立つ文化施設」、「上野公園の緑と周辺環境との調和」、「機能的な展示空間の創出」を基本的なコンセプトとしている。 | 国立科学博物館 |
2003-11 | 新建築 | 新建築社 | 芦原義信氏を偲ぶ | 池田武邦 | 弔文 | |
2003-12 | 建設工業新聞 | 「日本を代表する近代建築100選」 | 記事 | ソニービル | ||
2003-12 | 建築文化 | 彰国社 | 追悼 教師としての芦原さんを偲んで | 竹山実 | 広い斎場で厳粛に執り行われた美しい葬儀だった。大きな祭壇には白い花が山のように飾られ、その奥に故人の遺影があった。懐かしい笑みを含んだその写真を拝みながら私は故人を偲びび、昔をあれこれ思い起こしていた。 | 弔文 |
2003-12 | 文芸春秋 | 文芸春秋 | 蓋棺録 | 記事 | ||
2003-12 | 週刊文春 | 文芸春秋 | 2003年 さらば、帰らぬ人よ | 記事 | ||
2003-12 | 建築文化 | 彰国社 | 追悼 芦原義信 教師としての芦原義信さんを偲んで |
竹山実 | 弔文 | |
2004 | ||||||
2004-04 | 日経新聞 | 都市の光と影「東京人」200号 | 編集委員 浦田憲治 | ・・・・・・編集長に元「中央公論」編集長の粕谷一希、編集委員に芦原義信、高階秀爾、芳賀徹の三人を据えてスタート。 | ||
2004-09 | 東京人 | 都市出版 | 特集 東京オリンピック1964 オリンピック施設建築案内 |
記事 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
2004-09 | 東京人 | 都市出版 | 特集 東京オリンピック1964 オリンピックの正当なる遺産は残されたか |
松葉一清 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
2004-09 | 東京人 | 都市出版 | 特集 東京オリンピック1964 町田忍秘蔵、東京五輪スクラップブック |
町田忍 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
2004-12 | 国立歴史民俗博物館 20周年記念行事記録集 |
国立歴史民俗博物館 | 国立歴史民俗博物館 | |||
2004-12 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | フェニックス・シーガイヤ・リゾート第二期開発 | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
2005 | ||||||
2005-0503 | 建築設備 | 建築設備総合協会 | 芦原義信デジタルフォーラム | 芦原太郎 | ||
2005-0504 | INAX 20th Anniversary Digital Archives |
INAX | 商品年表 | 東京芸術劇場 | ||
2005-0510 | 日本のモダニズム建築 | 彰国社 | 芦原義信 | 八代市厚生会館 ソニービル 茨城県民文化センター 富士フィルム東京本社ビル 金沢文化ホール |
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2005-1120 | THE NIKKEI MAGAZINE | 日本経済新聞社 | アキバの広場に文化は育つか | 石鍋仁美 | ・・・高名な建築家、芦原義信氏がイタリアの広場を念頭に公園を再整備した池袋駅西口は若者の交流の場となり、人気作家・石田衣良氏のデビュー作の舞台になった。 | |
2005-1216 | 建設通信 | 芦原賞は坂牛卓氏 | 記事 | 賞 | ||
2006 | ||||||
2006-01 | 東京人 | 都市出版 | 「東京人」蓋棺録 芦原義信 |
粕谷一希 | ||
2006-02 | にほんの建築家 | TOTO出版 | 滝口範子 | |||
2006-07 | Side way | TOTO出版 | 廣部 剛司 | ・・・「建築」を目指す多くの人がそうであるように、私も学生の頃、近隣の有名建築を巡る小さな旅から実際に建築を訪れることを始めた。大学の研修旅行ではヨーロッパヘ3週間。そして実務に就いてからは、休みのたびに国内・海外問わず、その時々に興味を持っていた建築への旅を繰り返していた。そんな小旅行ばかりしていた私が、ある日、それまでの生活すべてを捨てて「旅人」になることを決め、結果として8カ月にもわたる長い建築巡リの旅をすることになってしまった。 | ||
9999 年月日不詳 | ||||||
都市再建の構想 | 蘆原義信 | 焼跡に段々復興して来て様々の格構の家が建って来た。併しどの新しい家のも新しい意味の進歩は少しも見られない。 | ||||
東京復興計画論文_二十年後の東京はかくありたい | 蘆原義信 | |||||
『伸びゆく住宅』 | 蘆原義信 | |||||
都市の再建と住生活の民主化 | 蘆原義信 | |||||
3階建住宅を創る | 企画:財 日本建築センター 発行:創樹社 | 夢広がる3階建住宅 | 芦原義信(建築家) | |||
65 sports in japan | The Komazawa Olympic Park | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||||
P&A No11 | MITSUBISHI RAYON CO,LTD | 世界の都市をめぐって アブ・ダビ紀行 |
芦原義信(芦原建築設計研究所所長 東京大学教授) | |||
エポック社のデルタックス促進マニュアル | 著名な先生方の推薦をいただきました | 芦原義信(建築家・東大教授) | ||||
公共建築 | 営繕協会 | 街づくりと公共建築 | 芦原義信(日本建築家協会会長) | |||
講談社インターナショナル出版目録 | 紹介記事 隠れた秩序 |
著書「隠れた秩序」 | ||||
1998-1118 | 建築家の履歴書 P42 |
芦原義信 | この地下の事務所で取り組んだ仕事で忘れられないのが、京都国際会館のコンペに応募したプランです。この案自体は結果的にはコンペで次点ということでしたが、事務所のスタッフの面々がそれぞれの持ち場でその全力を出し尽くしたという意味で忘れがたいものがあります。 | 国立国際会館 [コンペ] | ||
1998-1118 | 建築家の履歴書 P46 |
芦原義信 | 戦後の東京の復興計画のコンペの時に新宿駅の路線図を描いてくれた井上公資さんがソニーの宣伝部長として研究所にひょっこり現れて、銀座のソニービルの計画の相談があったのは1963年頃でした。・・・建設当時を思い返すと、井深大さんも盛田昭夫さんもお若くて、たいへん熱心にこの計画と取り組んで指導してくださいました。 | ソニービル | ||
DA 建築図集 図書館 |
美術館と研究室の機能を持つ資料図書館 | 記事 | 武蔵野美術大学 | |||
市政 | 全国市長会 | 市長随筆 女の我慢 |
谷伍平(福岡県北九州市長) | 著書「屋根裏のミニ書斎」 | ||