掲載年月 | 掲載誌 | 発行 | タイトル | 執筆者 | 書き出し・抜粋文章 | 備 考 |
1990 72歳 | ||||||
1990-00 | 日本入試センター | 代々木ゼミナール全国マーク模試 国語 | 著書「隠れた秩序」 | |||
1990-00 | ぎおん | 祇園甲部組合 | 祇園の将来 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1990-00 | aaca'長野シンポジウム記録 | 日本建築美術工芸協会 | シンポジウム 「自然と環境」 ゆとりある美しい芸術的環境の創造に向けて |
シンポジウム 内井昭蔵(司会) 芦原義信 市川健夫 多田美波 谷口吉生 宮本忠長 |
||
1990-00 | aaca創刊号 | 日本建築美術工芸協会 | 創刊にあたって | 芦原義信(美術工芸協会会長) | ||
1990-01 | 都市フロンティア シンポジウム '90実施報告書 |
東京フロンティア協会 | 特別対談 「東京の街並みと風景--21世紀に向かって」 |
芦原義信 粕谷一希 |
||
1990-01 | 木芽 | 日本木造住宅産業協会 | 芦原義信氏を囲んで 今、住いの文化を語る時代 |
芦原義信 加藤英夫、鈴木重雄、今出格、立岡弘、村田規喜、国原徹、大西克仁(司会) |
||
1990-01 | ウッド・プロ | フォレスト | 住まいづくりに哲学がない | 芦原義信 | ||
1990-01 | 家づくり | 第一勧銀ハウジングセンター | 当社創立20周年記念講演会 「21世紀の都市と住まい」より |
講師:芦原義信 | ||
1990-01 | 週刊読売 | 読売新聞社 | 各界メダリスト大予想 | 記事 | 賞 | |
1990-02 | 御茶ノ水駅公開プロポーザル・デザイン・コンペディション | 審査総評 | 審査委員長:芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | |||
1990-02 | 週間朝日 | 朝日新聞社 | 気の会う仲間と味な店 | |||
1990-02 | 1999 to 2001 | 北九州市都市計画局 | 座談会 魅力ある都市景観とは |
座談会 神崎義男(北九州大学名誉教授) 芦原義信(東京大学名誉教授) 石丸美奈子(コピーライター) |
||
1990-03 | 横浜上海友好館 建設の記録 |
横浜市建設局 | 全体と部分 中国の建築と都市デザイン |
芦原義信 | ||
1990-03 | SPACE & | 三菱レイヨン | 建築家の旅日記 パリで新年を |
芦原義信 | ||
1990-03 | Let's Love Oita | 大分県広報公聴課 | L.L.O.TALK 良さが折り合う |
芦原義信(建築家・・) 平松守彦(大分県知事) |
||
1990-03 | 公共建築 | 営繕協会 | 建築審議官 官公庁施設部会委員に聞く3 10年をふりかえり |
芦原義信 | ||
1990-03 | ホーミングニュース | ミサワホーム | 道楽くらぶ 雑木に囲まれた露天風呂から月を眺める。そこは都会の別天地 |
芦原義信(建築家) | 風呂 | |
1990-03 | 第4回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
国土庁・地方振興局 | 審査員の感想 如何に人生の時間を使うのか |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1990-03 | 日本建築学会百年史 | 日本建築学会 | 記念晩餐会 挨拶 | 芦原義信(会長) | ||
1990-04 | 大六回 東京都文化賞 | 東京都 | 芦原義信(審査員) | |||
1990-04 | Bright | TALK 街並みの美学 |
TALK 芦原義信 音桂二郎 鈴木勲 波多野正彦 |
著書 隠れた秩序 | ||
1990-04 | こんな快適なむらがありました(IV) | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 如何に人生の時間を使うのか |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1990-04 | 人間と空間の交響詩 京都 |
Edition Wacoal | ベンダ教授と京都 | 芦原義信(建築家・アメリカ建築家協会名誉会員) | ||
1990-05 | 服部智恵子 追悼公演 | 追悼の言葉 | 芦原義信(建築家・東大名誉教授) | |||
1990-05 | 建築保全 | 建築保全協会 | 霞ヶ関ビルに夢を寄せて | 芦原義信 | ||
1990-05 | 第2回 公共建築賞受賞作品集 |
営繕協会 | 審査を終えて | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1990-05 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 点 パリから東京を眺める |
芦原義信(建築家・本誌編集委員) | ||
1990-05 | 第49回文部省所轄ならびに国立大学附置研究所長会議 議会議事録 |
講演 「都市の発想−部分と全体」 |
芦原義信(東大名誉教授) | |||
1990-05 | 建築画報 | 建築画報社 | 座談会 『コンペあれこれ』 御茶ノ水公開プロポーザル デザイン・コンペをめぐって |
出席者 芦原義信 大野泰史 服部暁彦 藤井隆文 司会 叶篤彦 |
コンペ | |
1990-06 | 第1回KAJIMA彫刻コンクール作品展 | 鹿島建設 | 選考審査員 三木多聞 酒井忠康 清水九兵衛 井上武吉 芦原義信 谷口吉生 鹿島昭一 |
|||
1990-06 | 測量・設計システム展'90 ガイドブック |
日本測量協会 | これでいいのだろうか 日本の都市・東京のまち |
インタビュー ゲスト 芦原義信(建築家) インタビュアー 中野良子(女優) |
||
1990-07 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 東京にもっと光を緑を | 座談会 芦原義信(建築家) 石井幹子(照明デザイナー) 半田真理子(環境プランナー) |
||
1990-07 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 大賞受賞の所感 | 芦原義信(建築家/東京大学名誉教授) | 賞 | |
1990-07 | JAPAN AVENUE | ジャパンアベニュー社 | アベニュートーク | 対談 芦原義信 石井幹子 |
||
1990-08 | 万国博の日本館 | INAX | 万国博の日本館 | 記事 | モントリオール万国博覧会日本館 | |
1990-08 | こどもと住まい(上) | 住まいの図書館出版局 | 五十人の建築家の原風景 | 芦原義信 編著=仙田満 |
||
1990-09 | まちづくりと環境芸術セミナー'90 | 彫刻の森美術館 環境芸術総合研究所 |
パネルディスカッション | パネリスト 芦原義信(建築家) 石井亨(仙台市長) 笹山幸俊(神戸市長) 榛村純一(掛川市長) コーディネータ 馬場璋造(建築評論家) |
||
1990-10 | エレベータ界 | 日本エレベータ協会 | 21世紀の都市における建築とエレベータの期待 | ゲスト 芦原義信 インタビュアー 佐々木武彦 萩中弘行 |
||
1990-10 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 実験劇場都市・東京は 近未来を駆けていく |
座談会 関沢英彦(情報堂生活総合研究所) 藤岡和賀夫(フリー・プロデューサー) 芦原義信(建築家) |
||
1990-10 | AERA | 朝日新聞社 | 水田地帯に建ったハイカラモン | 記事 | 小杉町文化ホール | |
1990-11 | 東京21世紀への飛躍 | ぎょうせい | 鈴木俊一 | 著書「隠れた秩序」 東京芸術劇場 |
||
1990-11 | FOCUS | 新潮社 | 「大ホール」「設備」は世界一級 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1990-11 | メタルワークのストリートアートデザインコンテスト 第1回作品集 | 日本建築美術工芸協会 | ご挨拶 | 芦原義信(日本建築美術工芸協会) | ||
1990-11 | 家とまちなみ | 住宅生産振興財団 | まちづくり設計競技 審査報告 |
芦原義信(審査委員長) | ||
1990-11 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 池袋新景 | 佐藤明 | 東京芸術劇場 | |
1990-12 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 東京芸術劇場 | 太田宏 | 池袋が変わる。この秋、池袋の大きな話題の1つは、10月3日に西口にオープンした「束京芸術劇場」(TOKYO METROPOLITAN ART SPACE)だろう。設計は芦原建築設計研究所。コンサート専用の大ホール、演劇用の中ホール、2つの小ホールを擁する、国内最大の芸術文化施設だ。 | 東京芸術劇場 |
1990-12 | INAX REPORT | INAX | 東京芸術劇場 | 二之宮政雄(芦原建築設計研究所) | 東京芸術劇場 | |
1990-12 | INAX REPORT | INAX | 東京芸術劇場の外装タイルについて | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1991 73歳 | ||||||
1991-00 | 歩み 川原竜三郎彫刻集 |
STUDIO VERDE | 彫刻家、川原竜三郎さんについて | 芦原義信 | 私は今から10数年前、例のごとくふと銀座の日動画廊に立寄った。丁度その時、川原竜三郎さんの個展がひらかれていた。私は、日本人の彫刻家の作品だとはとても信じられないような躍動感あふれる女人像に、いたく心をひかれた。そしてその素材感が、何時も見なれた日本のブロンズ像と異なっていたのにいたく興味をもった。どんな作家であるのか、当時は全然知らなかったが、早速大枚を払ってこの作品を購入した。 | 第一勧業銀行本店 |
1991-00 | The INTERNATIONAL WHO'S WHO 1991-92 | EUROPA PUBLICATIONS | ASHIHARA Yoshinobu | |||
1991-01 | 新建築 | 新建築社 | 東京芸術劇場 | 二之宮政雄(芦原建築設計研究所) | 東京芸術劇場は「文化都市・東京」を世界に示すとともに、新しい文化環境づくりをめざした「東京ルネッサンス事業」の一環として東京都が計画したものである。 | 東京芸術劇場 |
1991-01 | 新建築 | 新建築社 | 東京芸術劇場・アートワーク | 澤田隆夫/芦原建築設計研究所 | 東京芸術劇場および池袋西口公園の計画には、多くの芸術家の協力をえて、内外空間の要所要所に40点におよぶ作品が設置され行交うひとびとの目を楽しませている。 | 東京芸術劇場 |
1991-01 | 新建築 | 新建築社 | 横ならび・縦ならび | 芦原義信 | 私はかねてより、建築と建築を結ぶ「隠れた秩序」のようなものを模索していた。そのひとつは「京都国際会館」のコンペのときに提案したアーバン・コリダーのシステムであり、そのコリダーに形態も機能も異なる各種の建築が共通な遺伝子のようなもので連結される。 | 東京芸術劇場 |
1991-01 | 新建築 | 新建築社 | 更埴市総合文化会館(あんずホール) | 小橋敏 | 更埴市総合文化施設 | |
1991-01 | 新建築 | 新建築社 | 建築における部分発想、全体発想 | 芦原義信 | ||
1991-01 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 東京にNOといえる地方の知恵 | 出席者 岩国哲人 佐川一信 芦原義信 |
||
1991-01 | 昭和の文化遺産 10 建築 |
ぎょうせい | 芦原義信 | 監修=井上靖/河北倫明 責任編集=村松貞次郎 |
中央公論ビルディング ソニービル 国立歴史民俗博物館 |
|
1991-01 | 建築文化 | 彰国社 | 東京芸術劇場 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-01 | 建築文化 | 彰国社 | 21世紀をめざす芸術拠点 | 井上一 | 配置検討 まず、施設の配置計画から述べる。本施設は大・中・小2の四つのホールからなる複合施設であり、それぞれ用途、機能、客席数など、性格がかなり違うホールの集合体である。それらの施設を敷地に対して、まず平面配置する検討を行ってみたところ、大・中ホールをほぼ同一レベルに配置してみると、この二つのホールで敷地の大半を占めてしまうことが分かった。 |
東京芸術劇場 |
1991-01 | CONTROSPAZIO | Dal rito all'avanguardia | di Antonella Greco | ソニービル モントリオール万国博日本館 |
||
1991-01 | 東陶通信 | 東陶機器 | 建築実例 東京芸術劇場 |
記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-01 | Tile & Architecture | INAX | 東京芸術劇場 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-02 | チャイム 銀座 | KSDコーポレーション | 美しい都市空間のために 金属造形作家展 |
記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-02 | 新建築 | 新建築社 | 衆参両院正面玄関前噴水 | 設計について | 衆参両院正玄関前噴泉新設 | |
1991-02 | プレシデント | プレシデント社 | フォト・レポート 池袋「第三の副都心」へ華麗に変身中 |
記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-02 | JAPAN LANDSCAPE | プロセスアーキテクチャー | 街づくりから境界が消えた 東京芸術劇場・池袋西口公園 |
中本雅子 | 整備にあたっては、東京都と豊島区、都市整備、公園、道路などそれぞれ管轄が異なるにもかかわらず、組織の枠組を超えてオープンスペースを相互に共有化し、境界のない広場空間を生み出した。 | 東京芸術劇場 |
1991-02 | QUARTERLY ZEUS | 菊川工業 | 「東京芸術劇場」の迫り上がりフェンスと左右3連の回転扉 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-03 | 国際景観シンポジウム概要報告書 | 日本建材産業協会 | 特別講演「景観形成と未来」 | 芦原義信(建築家) | ||
1991-03 | 郵政建築 | 郵政建築協会 | 街並みの美学と公共建築 | 対談 芦原義信 松川淳子 |
||
1991-03 | GLASS LIFE | セントラル硝子 | 葦原太郎事務所 | 記事 | ||
1991-03 | 東京都文化懇談会議事録 | 東京都生活文化局 | 東京の文化を考える | 座談会 | 芦原義信(座長) 他多数 |
|
1991-03 | 第5回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
国土庁・地方振興局 | 審査委員の感想 農村住民に訪れたチャンス |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1991-03 | おあしす | 北陸金沢百選会 | 風窓 勝ち組の都市−金沢 |
芦原義信(建築家/日本芸術院会員) | ||
1991-03 | 北海道立中央水産試験場 構想設計競技作品集 |
北海道住宅都市部 | 審査講評 | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1991-03 | 国立教育会館通信 別冊 | 日本の都市の魅力と問題点 | 芦原義信(文化功労者/建築家/日本芸術院会員/東京大学名誉教授) | |||
1991-03 | 舞台監督 | 舞台監督協会 | 東京芸術劇場の設計 | 守屋秀夫(建築家) | 東京芸術劇場 | |
1991-03 | 舞台監督 | 舞台監督協会 | 東京芸術劇場の怪 | 田村恵(音響家) | 東京芸術劇場 | |
1991-03 | 舞台監督 | 舞台監督協会 | 「東京芸術劇場」中ホールでの公演 | 小林聰(演出家) | 東京芸術劇場 | |
1991-04 | ELSA | ELSA出版局 | 東京芸術劇場 気軽な憩いの場にもなる巨大なアートスペース |
記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-04 | こんな快適なむらがありました(V) | 国土庁・地方振興局 | 審査委員の感想 農村住民に訪れたチャンス |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1991-04 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 都市の歳時記・座談会 「見つめられる」視線が都市を女を美しくする |
座談会 森英恵 吉村真理 芦原義信 |
||
1991-04 | aaca | 日本建築美術工芸協会 | 東京芸術劇場の設計について | 井上一(芦原建築設計研究所所長代理) | 東京芸術劇場の立地条件をみたとき、池袋駅西口と敷地を結ぶ部分にある池袋西口公園は劇場への地上面での主要なアプローチ部分となっている。 | 東京芸術劇場 |
1991-04 | aaca | 日本建築美術工芸協会 | 東京芸術劇場の設計における芸術家の協力について | 澤田隆夫(芦原建築設計研究所副所長) | 東京芸術劇場及び池袋西口公園の計画には、29人の芸術家の協力による41点の作品が設置されている。それらは、建築設計の一環として、設置個所や仕様、予算などが予め組込まれ、工事の進捗に合せて、設計者側の起案にもとづき、作家選定委員会の承認を得て選定された作家たちの作品である。 | 東京芸術劇場 |
1991-04 | aaca | 日本建築美術工芸協会 | 西田明未(環境造形作家) 川原隆三郎(彫刻家) 石川佳代(メイフェア) 遠山景行(川島織物) 絹谷幸男(画家) 大久保久子(革工芸家) 内井乃生(彩布) 瀧川嘉子(立体造形家) 多田美波(彫刻家) 永原浄(照明デザイナー) 飯野毅一(現代彫刻センター) 建畠覚造(彫刻家) 朝倉響子(彫刻家) 榎本建規(建築彫刻家) 南澤弘(金属工芸家) |
東京芸術劇場 | ||
1991-05 | 都市景観シンポジウム in ながおか | 都市景観シンポジウム in ながおか実行委員会 | 基調講演 これからの美しい街づくりを目指して |
|||
1991-05 | 村野藤吾 1975→1988 | 新建築社 | あとがき 村野藤吾に学ぶこと |
芦原義信(村野藤吾作品集刊行委員会委員長) | ||
1991-05 | 卒業制作'91 | 近代建築社 | これから社会に巣だつ諸君のために | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1991-05 | 建築音響研究委員会資料 | 日本音響学会建築音響研究委員会 | 東京芸術劇場の設計について | 井上一(芦原建築研究所) | 東京芸術劇場 | |
1991-06 | 景観材料 | 景観材料推進協議会 | 国際景観シンポジウム'91報告 景観デザインの明日 |
記事 | ||
1991-06 | ゆりかもめ | 東京都 | 東京都文化行政シンポジウム 東京の文化を考える |
記事 | ||
1991-06 | 魅力ある都市づくり 明日の静岡県 |
静岡県都市住宅部 | 魅力ある都市づくり 明日の静岡県 |
斎藤滋与史(静岡県知事) 芦原義信(東京大学名誉教授) 竹内宏(静岡総合研究機構理事) 草柳文恵(司会) |
||
1991-06 | 建築文化 | 彰国社 | 建築家と自邸 小さな庭に大自然 |
談・文責/編集部 | 庭 風呂 | |
1991-06 | 新建築 住宅特集 |
新建築社 | 小さな庭に大自然 | 談 芦原義信 |
庭 | |
1991-06 | View | コトブキ企画室 | カルチャー新源地 JR池袋西口に駅前に、東京芸術劇場デビュー |
記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-07 | 武蔵野美術大学六十年史 | 武蔵野美術大学 | 建築・工学と芸術の融合 | 建築学科設置の背景 ◎建築学科教育の流れ 一九六四(昭和三九)年産業デザイン学科の建築デザイン専攻、そして、翌年すなわち一九六五(昭和四〇)年に本学に設置された建築学科の社会的背景を記す前に、明治以降の日本の建築学科教育の流れを概観してみる必要がある。 |
武蔵野美術大学 | |
1991-07 | MAU NEWS | 武蔵野美術大学 | [特集]12号館<多目的棟>竣工 | |||
1991-07 | 道工大ニュースレター | 北海道工業大学 | 山荘への想い | インタビュー記事 | ||
1991-07 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 有名建築その後 武蔵野美術大学鷹の台キャンパス |
記事 | 武蔵野美術大学 | |
1991-07 | NEW 設備資材情報 | 日刊建設工業新聞社 | フォトレビュー 東京芸術劇場 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1991-08 | 平成3年度「都市景観の日」シンポジューム報告書 | 都市づくりパブリックデザインセンター | 基調講演 世界の都市景観 | 芦原義信 | 今日は旧月4日、都市の日ということで、都市景観について何かしゃべるようにということです。この日比谷公会堂には、戦前、学生のときによくシンフォニーを聴きに来たことがあります。それ以来、来たことがなくて、今日、4、田年振りに釆まして、今さらながらよくこんな立派なホールを戦前につくったなと思って感心しているところです。 | |
1991-08 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 点心 ウィーンの森で東京を考える |
芦原義信 | ||
1991-08 | 東陶通信 | 東陶機器 | 環境にとけこんださりげなさ 都市型トイレリニューアルの好例 |
坂本菜子 | 東京芸術劇場 | |
1991-09 | 建築保全 | 建築保全センター | 水と建築 第一勧業銀行本店 |
長谷川誠 | 第一勧業銀行本店 | |
1991-09 | 岡山シンフォニーホール開館記念 | 岡山シンフォニーホール | 岡山シンフォニーホールの設計について | 芦原義信 | 岡山シンフォニーホール | |
1991-09 | 都市と農村を結ぶまちづくり 景観シンポジウムの記録 |
帯広市都市建設部 | 講演 街並みの美学 |
芦原義信 | ||
1991-09 | まちづくりと環境芸術セミナー'91 | 彫刻の森美術館 環境芸術総合研究所 |
環境芸術大賞'91表彰式 | 審査委員長 鹿内宏明 審査委員 芦原義信 他10名 |
||
1991-09 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 私の視点 行政主導からの脱却を |
芦原義信(建築家) | ||
1991-09 | OKAYAMA SYMPHONY HALL 岡山シンフォニーホール開館記念 |
岡山シンフォニーホール | 岡山シンフォニーホールの設計について | 芦原義信 | 表町1丁目地区は、岡山市の中心地にあって歴史も古く、また都市計画的にも文化ゾーン、業務ゾーン、商業ゾーンの接点にあたる重要な場所に位置している。 当地区の市街地再開発計画には、当初からシンフォニーホールをとり込む予定で計画を進めてきた。ホールは3階〜7階の中聞階を占め、下階が店舗、上階がオフィスという構成である。 |
岡山シンフォニーホール |
1991-09 | OKAYAMA SYMPHONY HALL 岡山シンフォニーホール開館記念 |
岡山シンフォニーホール | いい聴衆が育ててこそ。ピアノは生きてくる | 遠山慶子 | 岡山シンフォニーホニルのピアノ開きで塩川悠子さんとデュオをするんですが、ホールのピアノの選定も頼まれましてね。私はピアノが大好きなんです。楽器そのものがね。 | 岡山シンフォニーホール |
1991-09 | OKAYAMA SYMPHONY HALL 岡山シンフォニーホール開館記念 |
岡山シンフォニーホール | ホール、能、そしてオペラ | 観世栄夫 | 最近は国籍のない芸術が多くなっているけれども、本当は、その芸術が生まれた環境を感覚として持っているべきじゃないかと思います。 | 岡山シンフォニーホール |
1991-09 | 宮城県陸上競技場公開設計競技募集要項 | 宮城県 | 記事 | |||
1991-09 | ゆりかもめ | 東京都 | 東京都文化行政シンポジウム 東京の文化を考える |
シンポジウム 芦原義信 遠山一行 山口昌男 有馬真貴子 高階秀爾 |
||
1991-10 | 第2回「都市景観の日」シンポジウム | 「都市景観の日」実行委員会 | 基調講演 「世界の都市景観について」 |
芦原義信 | ||
1991-10 | 第52回 全国都市問題会議 都市の再生と創造 |
全国市長会 | 基調講演 都市の再生と創造 |
蘆原義信(東京大学名誉教授・建築家) | ||
1991-10 | 建築文化 | 彰国社 | 他者から見た磯崎 | 芦原太郎、芦原義信 他多数 | ||
1991-10 | 合同インターシティ・ミーティング 報告書 |
記念講演 「国際化の東京 魅力と問題点」 |
芦原義信 | |||
1991-10 | 現代日本の屋外彫刻 | 講談社 | 監修:酒井忠康、米倉守 写真:安斎重男 |
東京芸術劇場 | ||
1991-11 | 人と国土 | 国土計画協会 | 巻頭言 地方振興への期待 |
芦原義信(農村アメニティー・コンクール審査会長 東京大学名誉教授) | ||
1991-11 | ai | 日本建築美術工芸協会 | 座談会 協会の今後について 協会活動の抱負 |
座談会 芦原義信 会田雄亮 深澤重幸 多田美波 柳澤孝彦 |
||
1991-11 | 東武鉄道とともに12年 若者の住む村づくり |
星力 | 星力 | |||
1991-12 | 日本シベリウス協会通信 3号 | 日本シベリウス協会 | フィンランドと私 | 芦原義信(建築家・日本シベリウス協会名誉会員) | ||
1991-12 | 国立教育会館通信別冊 (文化勲章受章者・文化功労者特別講演会) |
日本の都市の魅力と問題点 | 蘆原義信(文化功労者、建築家、日本芸術院会員、東京大学名誉教授) | |||
1991-12 | 新建築 | 新建築社 | FACE 芦原義信 | インタビュー記事 | --このたびは「文化功労賞」の栄を受けられたと,お祝い申し上げます。 | 賞 |
1992 74歳 | ||||||
1992-00 | Diamonds in Heart | 日産建設 | [建築を志す] 自分の夢を信じて |
芦原義信 | ||
1992-00 | 自由空間 HINT BOOK |
ミサワホーム | 都会の中の露天風呂 | 芦原義信(建築家) | 風呂 | |
1992-00 | 岡山の新たなコア 岡山表町一丁目地区市街地再開発事業記念誌 |
岡山表町一丁目地区市街地再開発組合 | 記録 | 岡山シンフォニーホール | ||
1992-00 | EDITH PIAF NOBORY KOUZUKI |
上月晃さんのこと | 芦原義信(建築家・日本芸術院会員・東京大学名誉教授) | |||
1992-00 | World Biographical Hall of Fame | HISTORIOAL PRESERVATION OF AMERIOA | Yoshinobu Ashihara | |||
1992-01 | 浜美枝の自分探しのエッセイ 花織の記 | 文園社 | 自然が町をおこす ひなげしと白い馬のトルコ |
浜美枝 | ||
1992-01 | 白い国の詩 | 東京電力 | 東北の魅力 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1992-01 | 新建築 | 新建築社 | 岡山シンフォニーホール | 記事 | 岡山シンフォニーホール | |
1992-01 | 新建築 | 新建築社 | 岡山シンフォニーホール | 佐渡養順(芦原建築設計研究所) | この建物は、塔地区の市街地再開発事業によるものであり、当初からシンフォニーホールを取り込む予定で計画が進められた。ホールは3階〜7階の中間階を占め、下階が店舗、上階がオフィスという構成である。 | 岡山シンフォニーホール |
1992-01 | 建築文化 | 彰国社 | 岡山シンフォニーホール | 記事 | 岡山シンフォニーホール | |
1992-01 | 建築文化 | 彰国社 | 岡山シンフォニーホール | 佐渡養順(芦原建築設計研究所) | 岡山シンフォニーホール | |
1992-01 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 特集 舞台は泣いている |
記事 | 「東京芸術劇場に不満続出」(毎日新聞、1991年6月29日付)、「不評買う東京芸術劇場」(日本経済新聞、同7月13日付)。一時騒がれた東京都新庁舎ほどではないにせよ、一般メディアがひとつの建築をこれほどまでに取り上げたのは異例のことだと言える。 | 東京芸術劇場 |
1992-01 | 東京人 | 東京都の文化行政に注文する | 座談会 朝倉摂 有馬真喜子 金平輝子 |
東京芸術劇場 | ||
1992-02 | 東京都文化懇談会速記録 | 東京都生活文化局 | 芦原義信(座長) 他 委員 |
|||
1992-02 | アクタス | 北国新聞社 | 景観壊すのは広告とペンシル・ビルが元凶 | 芦原義信(建築家 文化功労者) 聞き手 中川真由美(イメージコンサルタント) |
||
1992-02 | 新建築 | 新建築社 | 岡山シンフォニーホール | 月評 内井昭蔵 |
モニュメンタルな形態にまとめられた大ホールにありがちな単調なボックス化を避け、都市景観を踏まえた作品となっている。ホール内部も変化に富み、全体を人間味豊かな木質系で暖かくまとめられている。 | 岡山シンフォニーホール |
1992-03 | 能登島・グラスアート・ナウ 指名コンペディション |
石川県能登島ガラス美術館 | 能登島・グラスアート・ナウ 指名コンペディションによせて | 芦原義信(建築家) | ||
1992-03 | 新都庁舎建設誌 | 東京都 | 第4章 新都庁舎の指名設計競技 | 記録 | ||
1992-03 | 文部時報 | ぎょうせい | 人・この道 庭の露天風呂 |
芦原義信 | 風呂 | |
1992-03 | 宮城県陸上競技場公開設計競技 1991.10-1992.3 記録 |
宮城県 | 審査講評 | 芦原義信 他 |
コンペ | |
1992-03 | キョートイメージ1992 | 京都デザイン協会 | 冷評 | 芦原義信(建築家) | 建物の高さだけでなく色彩・形態などがばらばらで、雨後の筍の間に毒茸がはえはじめなければよいなあと心配である | |
1992-03 | 現代文 | 三省堂 | 内部と外部 | 芦原義信 | 教科書 | |
1992-04 | 家とまちなみ | 住宅生産新興財団 | 平成2年度 まちづくり設計競技 審査報告 |
芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1992-04 | 都市環境のデザイン | プロセスアーキテクチャー | 対談 都市の文化 |
ゲスト 芦原義信 | ||
1992-04 | 福井市制100周年 記念事業報告書 |
福井県 | 福井市都市景観シンポジウム | 記事 | ||
1992-04 | 病院建築 | 日本病院建築協会 | 横浜市立市民病院 | 渡辺茂(芦原建築設計研究所) | 横浜市立市民病院 | |
1992-04 | 病院と設備 | 医学書院 | 横浜市立市民病院 | 栗木森(芦原建築設計研究所) | 横浜市立市民病院 | |
1992-03 | 第6回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
国土庁・地方振興局 | 審査委員の感想 農村アメニティーと農業 |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1992-05 | 自然と健康 | 日本カイロプラクティス師会広報部 | ギックリ腰を防ごう | 記事 | 芦原所長も「ギックリ腰で、それこそ溺れる者は藁にもすがるという気持ちでお願いしたわけですよ」と語っておられるが、それだけにカイロプラクティスの治療で腰痛の症状が改善された時の喜びは大きかったに相違ありません。 | |
1992-05 | 公共建築賞受賞作品 | 営繕協会 | 審査を終えて | 芦原義信(第3回公共建築賞審査委員長) | ||
1992-05 | 西崎緑の会 | 西崎緑舞踊研究所 | 東京芸術劇場と二代目西崎緑さん | 芦原義信(建築家・日本芸術院会員) | 西崎緑さんの創作舞踊が私共が設計した池袋の東京芸術劇場で、この五月十日に開演されるという。そのこともあって私は昨年朝日ホールで行われた西崎さんの舞踊をこっそり見に行って、ほんどにびっくりしたり深く感銘したりした。それは我々が想像もつかないような創造性と近代性をもっている創作舞踊であるからであった。 | 東京芸術劇場 |
1992-05 | こんな快適なむらがありました(VI) | 国土庁地方局 | 審査委員の感想 農村アメニティーと農業 |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1992-05 | 建築文化 | 彰国社 | エキスパートに聞く 部分発想の集積としての家 |
インタビュー記事 芦原義信 聞き手 近江栄 |
山崎邸 芦原邸 中曽根邸 野村不動産港南台住宅 |
|
1992-06 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 京都の街並みの美学 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授、武蔵野美術大学名誉教授) | ||
1992-06 | とうきょう 広報 | 東京都 | 東京の魅力と今後の課題 | |||
1992-06 | 第2回KAJIMA彫刻コンクール作品展 | 鹿島出版会 | 審査員のプロフィル | |||
1992-06 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 京都の街並みの美学 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授・武蔵野美術大学名誉教授) | ||
1992-07 | 職員 | 建設大臣官房人事課 | 喫茶室 | インタビュー記事 芦原義信(東京大学名誉教授) |
||
1992-07 | 建築への思索 | INAX | 再録 日本の建築批評 街並の美学 |
編集部 | ||
1992-08 | MCM 建設月報 |
建設広報協議会 | MCM座談会 都市と文化 |
座談会 平山郁夫(東京藝術大学学長) 芦原義信(東京大学名誉教授) 市川一朗(政務審議官) |
||
1992-09 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 点心 変貌都市・東京の包容力 |
芦原義信 | ||
1992-09 | 敦知 | 敦知出版会 | 日本の独特の空間感覚は、「靴をぬぎ家に入る」に根ざす | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1992-10 | 学術月報 | 日本学術振興会 | 巻頭言 都市の構造と住い |
芦原義信 | ||
1992-10 | 別冊 新建築 日本現代建築家シリーズ 三菱地所 |
新建築社 | 三菱地所の設計管理と街づくり | 対談 芦原義信(芦原建築設計研究所) 中島昌信 |
||
1992-11 | 東京現代建築ガイド | 「ソニービル」 | ソニービル | |||
1992-11 | 東京現代建築ガイド | 東京芸術劇場 | 記事 | 大アトリウムと、屋外に大きく広場を配した開放的な構成が、最大の目玉となっている。アトリウム内を長いエスカレーターで昇り大ホールヘと至る。この刺激的な構成が音楽ファンの間でさまざまな議論を巻き起こしている。 | 東京芸術劇場 | |
1992-11 | シーガイヤ | フェニックスリゾート | シーガイヤの基本的発想 創刊によせて |
あしはらよしのぶ(建築家) | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1992-11 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 建築マップ | 記事 | 北海道工業大学ニセコ山荘 | |
1992-11 | bAUMEISTER | THE HIDDEN ORDER | 記事 | |||
1992-11 | 静岡県の都市景観 | 静岡県都市住宅部 | ごあいさつ | 芦原義信(日本建築美術工芸協会 会長) | ||
1992-12 | ZEUS | 菊川工業 | 都市と家具 | 対談 芦原義信 陣内秀信 |
||
1992-12 | 都市環境デザインへの提言 | 日刊建設工業新聞社 | はじめに | 芦原義信(日本建築美術工芸協会 会長) | ||
1992-12 | 都市環境デザインへの提言 | 日刊建設工業新聞社 | 21世紀への提言 都市・環境 | 芦原義信(建築家) | ||
1992-12 | 建築文化 | 彰国社 | 北海道工業大学芦原ニセコ山荘 | 記事 | 北海道工業大学ニセコ山荘 | |
1992-12 | 建築文化 | 彰国社 | ニセコのセミナーハウス | 圓山彬雄(アーブ建築研究所所長) | ||
1992-12 | 三菱地所 | 新建築社 | 三菱地所の設計監理と街づくり | 芦原義信 中島昌信 |
||
1992-12 | 東京現代建築ガイド | 鹿島出版会 | 東京芸術劇場 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1993 75歳 | ||||||
1993-00 | LIBRARY | 岩崎電気 | シーガイア 夜間の景観にも配慮した国際海浜コンベンションリゾート |
芦原義信・鹿児学敏(芦原建築設計研究所) | シーガイア | |
1993-01 | 日経ストアデザイン | 日経BP社 | 「銀座ソニービル 営業と並行して工事進行 作業の山場は連夜終電後」 |
ソニービル | ||
1993-01 | 近代建築 | 近代建築社 | われら地球人 モントリオールの想い出 |
三輪晃久 | ・・・ある日会場内を流れる川の畔で撮影していると、現場事務所から「日本から芦原先生が来られたので、すぐ来るように!」との伝令が来た。僕は急いで撮影を終えると事務所に飛んで行った。事務所へ着いて「あっ、いけねえ、貴重品バックを忘れた。」中には、パスポートから、カナダドル、アメリカドル、日本円を合わせて、当時のお金で150万円ほどが入っていた。 | モントリオール万国博覧会日本館 |
1993-01 | 近代建築 | 近代建築社 | KITZビル | 記事 | KITZビル | |
1993-01 | 近代建築 | 近代建築社 | 設計主旨 | 栗木森(芦原建築設計研究所 部長) | KITZビル | |
1993-01 | 白い国の詩 | 創童舎 | 東北の魅力 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1993-01 | 日本の景観 | 筑摩書房 | 樋口君のユニークな研究−−解説にかえて | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | この度、樋口忠彦著『目本の景観—ふるさとの原型』がちくま学芸文庫の一冊として出版され、多くの人々の目にとまるようになることは、この上もなくうれしいことである。 そもそも自然景観や都市景観というものは、それぞれそこに住む人々にとって極めて重要なことであるにもかかわらず、今日まで我が国において、なかなかまとまった形での研究書がなかったことはまことに残念なことであった。 |
|
1993-01 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 座談会 学会賞作品賞を考える |
座談会 芦原義信 團紀彦 宮内嘉久 山口廣 司会 布野修司 |
賞 | |
1993-01 | 履歴なき時代の顔写真 | 三好企画 | 芦原義信 | フランク・エドワード・シャーマン | 友人を見送りにボストン駅へ行った時、雑踏の中から日本語で、「ごきげんよう」という挨拶の言葉が聞こえて来た。『ごきげんよう』だって、こいつはすごい。私はその挨拶の主に声を掛けた。 「あなたはハーバードヘ行くんでしょう。私も同じ方向です。車に乗せてあげましょう」 ハーバードヘの道すがら、私は聞いてみた。「フジタという画家を知っていますか?」 「ええ。知っているどころか、彼は僕の叔父ですよ!」 |
|
1993-01-04 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 「ソニービルが大規模改装 大壁画を1,2年で随時交換」 |
東京・銀座のソニービルが改装工事を終え、昨年末に再オープンした。同ビルは66年にオープンした日本最初のショールームビル。20年以上たった今も、待ち合わせ場所として多くの人に親しまれている。 | ソニービル | |
1993-02 | 時の動き | 大蔵省印刷局 | 随想 次は地方の時代 |
|||
1993-02 | 新建築 住宅特集 |
新建築社 | 北海道工業大学芦原ニセコ山荘 | 記事 | 北海道工業大学芦原ニセコ山荘 | |
1993-02 | 新建築 住宅特集 |
新建築社 | 基本構想について | 芦原義信(芦原建築設計研究所) | 北海道工業大学芦原ニセコ山荘 | |
1993-02 | 新建築 住宅特集 |
新建築社 | のびやかな発想を求めて | 園山彬雄 | 北海道工業大学芦原ニセコ山荘 | |
1993-02 | Equipment & Architecture5 | INAX | 東京芸術劇場 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1993-03 | 東京国立近代美術館年表 | 名簿 | ||||
1993-03 | 住文化シンポジウム'93 住宅は誰のもの? |
住文化研究協議会 | ご挨拶(序文) | 芦原義信(住文化研究協議会会長) | ||
1993-03 | 石川県21世紀 文化構想懇談会 |
石川県 | 基調講演 | 芦原義信 | ||
1993-03 | 現代文 教科書 | 三省堂 | 内部と外部 | 芦原義信 | ||
1993-03 | 金沢都市美文化賞創設15周年記念誌 金沢創造 |
金沢都市美化委員会 | 鼎談 「金沢アイデンティーティ」の創造 |
主席者 芦原義信(日本芸術院会員) 安江良介(岩波書店社長) 福光博(金沢経済同友会代表幹事) |
||
1993-03 | 家とまちなみ | 住宅生産振興財団 | まちづくり設計競技 審査報告 |
芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1993-03 | 建築雑誌 作品選集 |
日本建築学会 | 東京芸術劇場 | 選評 茶谷正洋 | 選評 遅延している第二国立劇場よりさきに完成した。芸術としての総合性と若々しさ。設計者の豪快な決断を、2000席の大ホールを最上階に積み上げたことと、正面を池袋西口先の公園に向けて斜めに振ったことに見る。その結果、地下鉄有楽町線からの振動を避け、公園につながるアトリウムの高い公開性を果たし得た。 | 東京芸術劇場 |
1993-04 | 内閣総理大臣招待 芸術文化関係者との懇談のつどい |
内閣総理大臣官房 | (出席者名簿) | |||
1993-04 | CREATE | 佐藤工業 | 美しい街並み、技術、人、心 | 芦原義信(東京大学名誉教授・建築家) | ||
1993-05 | TWINKLE | 岩崎電気 | あかり放談 あかりを活かす |
芦原義信(建築家) | 岡山シンフォニーホール | |
1993-05 | TBS社報 | TBS 総務局 | 番組審査会 | 記録 芦原義信(委員長) |
||
1993-05 | 日経リゾート | 日経BP社 | シーガイヤの挑戦 | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1993-06 | 建筑師 | 隠遁的秩序(上) | ||||
1993-06 | シーガイヤプレス | フェニックスリゾート | シーガイヤ5月の現場を飛ぶ | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1993-06 | へるすねっと | 法研 | 部屋をよりパーソナルな空間に | 監修 芦原義信(建築家) |
||
1993-06 | 比較文化 | 東京女子大学比較文化研究所 | 第11回公開シンポジウム 空間の比較文化 |
パネリスト 芦原義信 リチャード・ズグスタ 葛野浩昭 小林祐子 |
||
1993-06 | 学術振興のすすめ | 日本学術振興会 | 都市の構造と住い | 芦原義信 編 沢田敏男 |
||
1993-07 | CREATE | 佐藤工業 | 美しい街並み、技術、人、心 | 芦原義信(東京大学名誉教授・建築家) | ||
1993-08 | 建筑師 | 隠遁的秩序(下) | ||||
1993-08 | BE 建築設備 | 建築設備総合協会 | 東京芸術劇場の重層構造における空調設備計画について | 二之宮政雄(芦原建築設計研究所) 山口和巳(建築設備研究所) |
東京芸術劇場 | |
1993-08-24 | 日刊建設工業新聞 | 日刊建設工業新聞社 | 駒沢オリンピック公園総合運動場 新たなスポーツ感動発信基地 |
記事 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1993-08 | さんよう | 三洋工業 | 都市の屋外彫刻 | 川井田一郎 | 東京芸術劇場 | |
1993-09 | 建築保全 | 建築保全センター | 駒沢オリンピック公園 体育館、管制塔の大改修 |
井上一(芦原建築研究所所長代理) 村岡久和(織本匠構造設計研究所設計部次長) |
駒沢公園体育館・管制塔 | |
1993-09 | さんよう | 三洋工業 | 駒沢オリンピック公園 総合運動体育館(改修工事) |
記事 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1993-09 | 週間文春 | 文芸春秋社 | 読むクスリ | 上前淳一郎 | ||
1993-09 | NEW OFFICE | ニューオフィス推進協議会 | 記事 審査委員長 芦原義信 |
コンペ | ||
1993-09 | 小杉町 | 小杉町文化ホール | チラシ | 小杉町文化ホール | ||
1993-09 | 小杉町 | 小杉町文化ホール | パンフレット | 小杉町文化ホール | ||
1993-09 | 北日本新聞 | 北日本新聞社 | 心が通じ合える町に | 記事 | 小杉町文化ホール | |
1993-10 | 駒沢オリンピック公園総合運動場 体育館 | 東京都教育委員会 | パンフレット | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1993-10 | 新世紀への塗・漆 国際デザインコンフェア'93石川 図録 |
国際デザインコンフェア'93石川開催委員会 | 審査総評 | 図録 | ||
1993-10 | 写真で見る 岩波書店80年 |
岩波書店 | 記事 | |||
1993-10 | こんな快適なむらがありました(VII) | 国土庁地方局 | 審査委員の感想 | 芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1993-10 | 都政施行50周年記念都民コンサート | 東京都 | ヴァイオリン協奏曲第2番「インテクステリア」 | 江村哲二 | コンペ 半外部空間 |
|
1993-11 | PROOF | 駒沢オリンピック公園 総合運動・体育館 設計ノート |
二ノ宮政雄(芦原建築設計研究所 設計部長 | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1993-11 | 新建築 | 新建築社 | 小杉町文化ホール (ラポール) | 光野敬一(芦原建築設計研究所 副部長) | 小杉町文化ホール ラポール | |
1993-11 | 新建築 | 新建築社 | 駒沢オリンピック公園総合運動場 体育館・管制塔(改修) | 二ノ宮政雄(芦原建築設計研究所 設計部長 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1993-11 | 現代の美術 19 | 至文堂 | 中間の世代と芦原義信 | 浜口隆一 | 駒沢公園体育館・管制塔 ソニービル |
|
1993-11 | 新建築 | 新建築社 | 「小杉町文化ホール (ラポール)」および「駒沢オリンピック公園総合運動場 体育館・管制塔(改修)」について | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | 小杉町文化ホール ラポール 駒沢公園体育館・管制塔 |
|
1993-11 | 東京−ベルリンシンポジウム報告書 | 東京都文化振興会 | ドイツと日本の都市形成のちがいより来る都市生活のありかた、都市における文化創造活動のあり方について | 芦原義信(東京大学名誉教授) | ||
1993-11 | 東京−ベルリンの未来像 | 東京都文化振興会 | ドイツと日本の都市形成のちがいより来る都市生活のあり方、都市における文化創造活動のあり方について | 芦原義信(東京大学名誉教授) | ||
1993-11 | 新・くらし文化の本 地球人類学 |
ナショナル住宅産業 | 私の地球環境論3 住まい街の共有財産 |
芦原義信 | ||
1993-11 | BCS建築賞 受賞作品ガイドブック |
建設業協会 | 神田順 | 横浜市立市民病院 駒沢公園体育館・管制塔 茨城県民文化センター 富士フイルム東京本社ビル 第一勧業銀行本店 国立歴史民俗博物館 衆議院副議長公邸 |
||
1993-11 | BCS建築賞 受賞作品ガイドブック |
建設業協会 | 環境と建築 | 芦原義信(建築家/東京大学名誉教授) | ||
1993-11 | City Texture | 菊川工業 | 東京芸術劇場 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1993-12 | 建築画報 No240 | 駒沢オリンピック公園 総合運動・体育館 | 二ノ宮政雄(芦原建築設計研究所 設計部長 | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1993-秋号 | ぎおん | 祇園甲部組合 | 破竹のいきおいの八九会 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1994 76歳 | ||||||
1994-01 | 月間 リフォーム | 駒沢オリンピック公園総合運動体育館・管制塔改修工事 | 向田良文(芦原建築設計研究所 設計部長) | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1994-01 | 体育施設 | 原型を極力残し大規模改修工事 | 倉茂壮一郎(東京都教育文化財団 所長) | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1994-01 | 体育施設 | 座席は新規格にして可視線確保 | 佐渡養順(芦原建築設計研究所 副部長) | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1994-01 | 東京人 | 東京都文化振興会 | これからの東京はどうなる | 芦原義信 | ||
1994-01-31 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 有名建築その後 駒沢オリンピック公園 総合運動場体育館 |
記事 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1994-01 | JAPANESE ARCHITECTURE III | VCK PUBLISHERS | THE HIDDEN ORDER | YOSHINOBU ASHIHARA | 著書「隠れた秩序」 | |
1994-01-02 | AD | THE HIDDEN ORDER | YOSHINOBU ASHIHARA | 著書 隠れた秩序 | ||
1994-02 | 月間 北国 アクタス |
北国新聞社 | 景観壊すのは広告とペンシル・ビルが元凶 | インタビュー記事 芦原義信(建築家・文化功労者) 聞き手 中川真由美(イメージコンサルタンツ) |
||
1994-03 | 景観シンポジウム | 岡山県 | 基調講演『私の景観論』 | 芦原義信(建築家) | ||
1994-03 | プレシデント | プレシデント社 | 人物クローズアップ 石井幹子 街の夜空をキャンパスに |
文 芦原義信 撮影 齋藤康一 |
||
1994-03 | 家とまちなみ | 住宅生産新興財団 | 平成4年度 まちづくり設計競技 審査報告 |
芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1994-03 | ZEUS | 菊川工業 | OLD&NEW 駒沢オリンピック公園総合運動場体育館 |
二ノ宮政雄(芦原建築設計研究所 設計部長)談 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1994-03 | 東北歴史博物館 公開設計競技 記録 | 宮城県 | 審査講評 | 芦原義信(審査会会長) | コンペ | |
1994-03 | まちづくり設計競技図録 | 住宅生産振興財団 | 全体講評 | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1994-03 | 人と国土 | 都市計画協会 | 巻頭言 地方の魅力 |
芦原義信(建築家・東大名誉教授) | ||
1994-03 | せせらぎ | 農村環境整備センター | 巻頭言 大都市の問題点と自然へのあこがれ |
芦原義信(芦原建築設計研究所所長・東大名誉教授・日本芸術院会員) | ||
1994-03 | 鑑定のひろば | 日本不動産鑑定協会 | 花壇 「都市の時間と空間−土地制度の改善」 |
芦原義信(建築家・東大名誉教授・日本芸術院会員) | ||
1994-03 | 鑑定の広場 | 日本不動産鑑定協会 | 花壇 「都市の時間と空間−土地制度の改善」 |
芦原義信(建築家・東大名誉教授・日本芸術院会員) | ||
1994-03 | 週刊読売 | 読売新聞社 | BOOK review ”靴を脱ぐ”文化が部分発想を生む |
記事 | 著書「東京の美学」 | |
1994-03 | 病院設備 | 日本病院設備協会 | 横浜市立市民病院、再整備について | 栗木森 | 病院 | |
1994-04 | 時報 | 大蔵省印刷局 | 東西比較文化論 | 芦原義信(建築家・東大名誉教授) | ||
1994-04 | 時報 | 大蔵省印刷局 | 上級管理セミナー 東西比較文化論 |
芦原義信(建築家・東大名誉教授) | ||
1994-05 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 二十一世紀都市・東京に向けて | インタビュー 聞き手:東京人編集室 |
・・・ことに決定的だったのは八五年、「中央公論」に載った吉成真由美さんの論文「乱数系が生み出す美の構造」を読んだことでした。わが意を得たりという感じで、フラクタル幾何学の考え方に急速に引きつけられました。簡単にいえば一見無秩序なものに「隠れた秩序」を見いだす方法であり、事後的、偶発的に与えられる変数によって生じる形態や表現をとらえる方法です。 | |
1994-05 | 日経ビジネス | 日経BP社 | アイディアは混沌の中でわく | 芦原義信(建築家) | ||
1994-05 | 津留史の会 | 蓼 津留史 | お祝いの詞 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授 芸術院会員) | ||
1994-05 | 鉄骨建築の基本と設計 | 彰国社 | スペースフレームによるアトリウムをもつ建築 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1994-06 | 青少年へ贈る言葉 わが人生論 |
文教図書出版 | スモール・イズ・ビューティフル | 芦原義信(東京大学名誉教授) | ||
1994-06 | 読むクスリ | 文芸春秋 | 陽樹と陰樹の話 | 上前淳一郎 | ||
1994-07 | 近代建築 特集:現代建築研究所 |
近代建築社 | 建築家の誇りと信念 | 対談 芦原義信(芦原建築設計研究所 所長・東京大学名誉教授) 北代禮一郎(現代建築研究所 所長) |
||
1994-08 | 建築画報 | 建築画報社 | ||||
1994-09 | 文化庁月報 | ぎょうせい | 今後の文化政策のブレークスルー | てい談 芦原義信 高橋健 高階秀_ |
||
1994-09 | 野遊びスタイルブック | 文芸春秋社 | 緑の魔法使いたち 自分流ガーデン・ライフ15人衆 |
井上喜美子 | ||
1994-09 | 建築設計資料 48 コンサートホール |
建築資料研究社 | 東京芸術劇場 大ホール | 二之宮政雄(芦原建築設計研究社) | 東京芸術劇場 | |
1994-12 | NATIONAL FILMU CENTER | 東京国立近代美術館フィルムセンター | 竣工パンフレット | 東京国立近代美術館フィルムセンター | ||
1994-12 | 節目 | 武蔵野美術大学造形学部建築学科 | 芦原義信元主任教授との対談 | |||
1995 77歳 | ||||||
1995-00 | The New Taichung City Civic Center | 評審簡介 | コンペ | |||
1995-01 | 新建築 | 新建築社 | 宮崎フェニックスリゾート・シーガイヤ | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-01 | 新建築 | 新建築社 | システムモール | 児島学敏(葦原建築設計研究所) | センター地区の中心となる施設は、地上43階、地下2階、高さ154mのホテル棟、地上4階、地下1階、5、000名収容の会議室を含むコンベンションホール棟、アミューズメント棟とこれらの施設を結ぶ動脈となる幅20m、長さ700m、地下1階、地上2階の「システムモール」である。 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア |
1995-01 | 新建築 | 新建築社 | 自然との調和 | 芦原義信 | この度、リゾート法(総合保養地域整備法)適用第1号の「宮崎フェニックス・リゾート・シーガイア」が、紺碧の海と美しい松林に恵まれた宮崎県一ツ葉海岸に竣工したことを心より嬉しく思う次第である。 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア |
1995-01 | 月間 経営塾 | 経営塾 | 一芸一話 連続性を重視した宮崎「s−ガイヤ」設計秘話 |
インタビュー記事 | 去る十月末にグランドオープンした、宮崎のフェニックス・リゾー卜「シーガイア」。この、リゾート法適用第一号のプロジエクトの設計を手掛けたのが、建築家の芦原義信氏。空聞構成の研究の成果を生かした、堅実ななかにも明快な作風を確立してきた、芦原氏の設計哲学を中心に語ってもらった。 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア 富士フィルム東京本社 |
1995-01 | 近代建築 | 近代建築社 | 宮崎フェニックスリゾート シーガイヤ | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-01 | 近代建築 | 近代建築社 | 秩序の模索 | 芦原義信(葦原建築設計研究所 所長) | この度、リゾート法(総合保養地域整備法)適用第一号のフェニックスリゾート・シーガイアが、紺碧の海と美しい松林に恵まれた宮崎県一ッ葉海岸に竣工したことを心より嬉しく思う次第である。 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア |
1995-01 | 近代建築 | 近代建築社 | 児島学敏(葦原建築設計研究所) | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | ||
1995-01 | TOSTEM VIEW | トステム | 超高層ビルに最適 高性能のシリコンガスケット | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-01 | 現代の眼 東京国立近代美術館ニュース |
東京国立近代美術館 | フィルムセンター竣工 | 記事 | 東京国立近代美術館フィルムセンター | |
1995-02 | 近代建築 | 近代建築社 | 国立歴史民族博物館 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1995-02 | 創立30周年記念誌 | 宮崎県建築士事務所協会 | 記念講演会 『これからの建築界はどう変わるか』 |
芦原義信 | ||
1995-02 | 世界 | 岩波書店 | ロバート・ヴェンチュリーとデニス・スコット・ブラウン | 芦原義信 | この二人は夫婦であると同時に、多年にわたって世界の瞠目を集めてきた建築家であり、また理論家でもある。二人は多年にわたるパートナー・シップを保ちながら、数多くの建築設計にたずさわり、且つその理論構成は、強く世界に影響を与えてきた。 | 東京芸術劇場 |
1995-02 | 外装特注タイル・テラコッタ施工例集 TILE-SCAPE |
INAX | 都市景観と”隠れた秩序” | 葦原義信 談 | ||
1995-02 | 商店建築 | 商店建築社 | ホテルオーシャン45 | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-03 | 新建築 | 新建築社 | 横浜港国際客船ターミナル 国際建築設計競技結果発表 | 記事 | ||
1995-03 | VIVC-VA | 前田建設工業 | 部分部分の昇華により、一つの秩序を築き上げる | 芦原義信(建築家) | ||
1995-03 | ITALIA GIAPPONE | Auguri dalla redazine | ||||
1995-03 | 建築雑誌 作品選集 |
日本建築学会 | 北海道工業大学 芦原ニセコ山荘 | 圓山彬雄(アープ建築研究所) | 北海道工業大学 芦原ニセコ山荘 | |
1995-03 | VIVOVA | 前田建設工業 | 部分部分の昇華により、一つの秩序を築き上げる | 芦原義信(建築家) | ||
1995-03 | 道立体育センター構想設計競技作品集 | 北海道住宅都市部 | 審査にあたって | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1995-03 | まちづくり設計競技図録 | 住宅生産振興財団 | 第13回まちづくり設計競技図録 審査結果報告 | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1995-03 | 1920年代の巴里より | 資生堂 | 蘆原英了の思い出 | 芦原義信 | ||
1995-04 | アルヴァー・アールト展 | アルヴァー・アールト展によせて | この度、アルヴァー・アールト展が東京で開催されることを心よりおよろこび申し上げます。 今から五十年あまりも前、大学の建築学科学生の時、はじめてアールトのパイミオのサナトリウムの写真を見て、その清純にして整然たる建築が美しい自然と渾然一体となっているのを発見し、その時以来私はアールトのファンになったのである。 |
|||
1995-04 | こんな快適なむらがありました(IX) | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 | 芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1995-04 | 国立国会図書館月報 | 国立国会図書館 | 国立国会図書館関西館(仮称) 建設基本計画概要 |
記事 | コンペ | |
1995-04 | 建築人物群像 追悼編 | 住まいの図書館出版局 | 村野藤吾 追悼・建築の達人村野藤吾 |
芦原義信 | ||
1995-04 | 最新日本結婚事情 | 朝日新聞社 | うちのヨメ賛 | 記事 | ||
1995-04 | WEDGE | ウェッジ | 「新婚旅行のメッカ」からリゾート地へ羽ばたく | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-05 | 交詢雑誌 | 交詢社 | 随想 「東京の未来」 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1995-05 | LIBRARY | 岩崎電気 | 戸外には美しい夜間景観を、屋内には非日常的空間を演出 | 芦原義信・児島学敏(芦原建築設計研究所) | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-05 | NFC ニュースレター | 東京国立近代美術館フィルムセンター | 記事 | 東京国立近代美術館フィルムセンター | ||
1995-05 | ホルムヘッドの謎 | 文芸春秋 | 便器公論に決すべし | 林望 | 池袋に鳴り物入りでオープンしたばかりの「東京芸術劇場」という最新式の大劇場に芝居を見に行ったときのことである。この劇場は、鬼面人を驚かすような斬新な設計で、なかなか感心したのだが、さてその便所に入ってみてガッカリしてしまった。 | 東京芸術劇場 |
1995-05 | LIBRARY | 岩崎電気 | 戸外では美しい夜間景観を。屋内では非日常的空間を演出 | 記事 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア | |
1995-05-06 | NFC NFC CALENDER |
東京国立近代美術館 フィルムセンター | 開館記念特集 フィルムは魅了する:銀幕の体験 |
東京国立近代美術館フィルムセンター | ||
1995-06 | GINZABOUT ギンザアバウト |
ザ・ギンザ | 数寄屋橋角と七丁目角 | 芦原義信 | ||
1995-06 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | News 千葉県がまちづくろシンポ |
記事 | ||
1995-06 | 新建築 | 新建築社 | 東京国立近代美術館 フィルムセンター | 記事 芦原義信 |
もともとこの土地は映画関係の建築のあったところで、その後、前川國男先生の設計されたフィルムセンターがあったが、1984年9月3日、不幸にも火災の被害を受けてしまった。そのあとわれわれが引き継いで、設計を担当する責任を負ったのである。 | 東京国立近代美術館フィルムセンター |
1995-06 | 近代建築 | 近代建築社 | 東京国立近代美術館 フィルムセンター | 記事 佐々木雄二(芦原建築設計研究所) |
||
1995-06 | 月間 健康 | 月間健康発行所 | サウナ党のすすめ | 芦原義信(建築家) | サウナ | |
1995-06 | 中央区文化・国際交流振興協会だより | 中央区文化・国際交流振興協会 | 区内文化施設紹介 東京国立近代美術館フィルムセンター |
記事 | 東京国立近代美術館フィルムセンター | |
1995-07 | 時の運 人の縁 1995年7月号 |
芦原先生万歳 | 野田一夫 | 、 | 777会 | |
1995-07 | NEW OFFICE | ニューオフィス推進協議会 | 東京的なるものの近況 | 講演会抄録 芦原義信(東京大学名誉教授) |
||
1995-07 | 建築師 CHINESE ARCHITECT |
中華民国建築師公会全国連合会雑誌社 | 評審簡介 | 紹介記事 | ||
1995-09 | ITALIA GIAPPONE | L'ordine nascosta | 著書「隠れた秩序」 | |||
1995-09 | 週刊朝日 | 朝日新聞社 | 庭においでよ 自宅で全国温泉めぐり |
記事 | 庭 | |
1995-09 | 翼の王国 | 全日空 | 東京国立近代美術館 「フィルムセンター」京橋の巻 |
太田和彦 | 映画百年にあたる今年の5月、古巣・京橋についに新フィルムセンターがオープンした。私はこの日をいかに待ち望んでいたことか。 | 東京国立近代美術館フィルムセンター |
1995-10 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 台中市新シビックセンター設計競技 | 記事 | 台湾で注目すべきコンペが行われた。台中市の新しいシビックセンターを設計するもので、審査員には日本から芦原義信、菊竹清訓の両氏をはじめ、アジア、アメリカ、ヨーロッパから名だたる建築家がずらり。 | |
1995-10 | HOUSING & LIVING | 第一勧銀ハウジング・センター | 佐藤健の家宅侵入 芦原義信 |
佐藤健 | 自宅 庭 サウナ | |
1995-11 | 学燈 | 丸善 | 葦原義信著 秩序への模索 |
田村明(法政大学教授) | 著書 秩序への模索 777会 |
|
1995-WINTER | S−EYE | フジセイコー | 思い出のシーン、憧れのスターに再会 | 記事 | 東京国立近代美術館フィルムセンター | |
1996 78歳 | ||||||
1996-00 | 静岡県西部地域新大学(仮称) 指名設計競技 |
静岡県 | 審査委員会 | コンペ | ||
1996-00 | DICTIONNAIRE DE L'ARCHITECTURE DU Xxe SIECLE | Yoshinobu Ashihara | ||||
1996-00 | あすへの話題 | 日本経済新聞社 | 自治体消防五十年 | 秋元敏文 | ||
1996-00 | Zodiac 16 | Yoshinobu Ashihara | 紹介記事 | 東京芸術劇場 | ||
1996-01 | 週間 建設ジャーナル | 建設ジャーナル | 東京の空間と時間 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1996-02 | 状況への視角 | 設計方法としての設計競技 | 守屋秀夫 | |||
1996-02 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 宮崎フェニックスリゾート・シーガイヤ ホテルオーシャン45 |
記事 | 地上154mの高さをもつ九州一の超高層ビル。タワーは直角二等辺三角形の特異な平面形。客室を三角形の短辺部に配し、全室がオーシャンビューになっている。 | 宮崎フェニクスリゾート・シーガイア |
1996-02 | 中央公論 2月号 | 中央公論社 | 都市生活の「時間と空間」 | 芦原義信(建築家) | ||
1996-02 | 東京人 | 東京都歴史文化財団 | 自然発生的都市、容共 | 芦原義信 | ||
1996-02 | 綴り方 自分史 おとこ あしん。ふんばる |
渡邉哲夫 | 芝浦海軍施設部第二百四十一設営隊 | 渡邉哲夫 | ||
1996-03 | 第10回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 | 芦原義信(農村アメニティー審査会長) | コンペ | |
1996-03 | 国際漆デザイン展96・石川 報告書 | 国際漆デザイン展・石川開催委員会 | 審査員講評 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1996-03 | カラープランニングセンター | カラープランニングセンター | 環境色彩 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授、日本芸術院会員) | ||
1996-03 | 美しい国土作りに向けての農村の役割と今後の課題 | 全国農村アメニティー協議会事務局 | 基調講演 農村アメニティー・コンクールを顧みて、今後の農村アメニティーの在り方を展望する |
芦原義信(東京大学名誉教授・農村アメニティー・コンクール審査会長) | コンペ | |
1996-04 | こんな快適なむらがありました(X) | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 | 芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1996-04 | 銀座百点 No497 | 銀座百点会 | 洒落気のある街を | 対談 芦原義信(建築家) 中島ゆたか(女優) |
||
1996-04 | ビルディング マネージメント ジャーナル | 透土社 | 建築の思想 | 芦原義信 | ||
1996-04 | 公共建築 | 公共建築協会 | 霞ヶ関官庁街100年記念シンポジウム 特別講演 |
概要 芦原義信 |
||
1996-05 | 現代 5月号 | 講談社 | どこ吹く風 | 丸谷才一 | 日の丸自動車学校 | |
1996-05 | 公共建築賞受賞作品 | 公共建築協会 | 優秀賞 岡山シンフォニービル | 岡山シンフォニーホール | ||
1996-06 | いきいき | 東京都社会福祉協議会 | 大人の放談 東京では、住宅をなんだか厄介者扱いにしている気がしますね。 |
芦原義信 | ||
1996-06 | 季刊 忙中閑話 | マスコミプロダクション | 本店二題噺 | 村本周三(第一勧業銀行 相談役) | 「当行の本店といえば、私には二つある。」一つは旧本店、もう一つは現本店。旧本店は旧第一銀行の本店でもあった、同行発祥の地は兜町だが、その本店は関東大震災で焼失した。そのとき銀行首脳は、当時丸ノ内に大会社の建築が続々できていた情勢に鑑み「寧口丸ノ内二地ヲトシテ新築スル方ガ将来ノ為二利益ト考へ、三菱会社へ相談シタル所、貴行ガ建築スルノナラ相当ノ土地ヲ譲渡シテモ宜シイト云フコトデアリマシタ」 | 第一勧業銀行本店 |
1996-06 | 開学記念特別講演 都市・生活・科学技術 |
東京都立科学技術大学 | 基調講演 市民生活と科学技術 |
会長 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1996-07 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 特集 コンペ審査の論理 ”無責任コンペ”の横行を嘆き、発注者の審査参加を促す |
記事 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) |
コンペ | |
1996-09 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | News 国立国会図書館「関西館」コンペ 最優秀に陶器二三雄案 |
記事 | コンペ | |
1996-09 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | コンペ報告 国立国会図書館関西館 審査員のコメント |
会長 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | コンペ | |
1996-09 | HOUSING & LIVING | 第一勧銀ハウジング・センター | 時間を楽しむ | 芦原義信(建築家) | ||
1996-10 | 国際漆デザイン展96・石川 | 国際漆デザイン展96・石川 開催委員会 | 審査員講評 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | コンペ | |
1996-11 | Zodiac 16 | |||||
1996-12 | 湯島神社 磯村の仕事 第6輯 |
磯村浩之亮 | 人間性塧れる人柄で | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1997 79歳 | ||||||
1997-00 | 風呂 FURO&SAUNA サウナ | フィンランド建築家協会/雑誌「建築家」 | フィンランドとサウナ | 芦原義信(風呂&サウナ展実行委員会名誉委員長 芦原建築設計研究所) | サウナ | |
1997-00 | 第1回 「農村環境整備」デザインコンペ 入選作品集 |
農村環境整備センター | 講評 | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1997-00 | INTERNATIONAL BIOGRAPHICAL ASSOCIATION DIRECTORY | International Biographical Center | ||||
1997-00 | INTERNATIONAL WHO'S WHO OF INTELLECTUALS | International Biographical Center | 名簿 | |||
1997-00 | The INTERNATIONAL WHO'S WHO 1996-97 | International Biographical Center | 名簿 | |||
1997-01 | 仙台・ヘルシンキ都市セミナー報告書 | 仙台・ヘルシンキ都市セミナー実行委員会 | 開会あいさつ | 芦原義信(日本フィンランド都市セミナー実行委員長) | ||
1997-02 | INAX REPORT | INAX | 特集 モダニズムの軌跡2 建築と外部空間の秩序を確立したパイオニア |
ゲスト:芦原義信 聞き手:内井昭蔵 |
||
1997-02 | INAX REPORT | INAX | 特集 モダニズムの軌跡2 生活>建築 |
隈研吾 | ||
1997-02 | 傘かしげの知恵 都市時代の社会学 |
長崎文庫・おりじん | 街並みの美学 | 本吉庸浩 | ||
1997-02 | オン・ザ・ウェイ | シルバーライフ | 「街並みの美学」を追求した正統派モダニスト | 記事:芦原義信(建築家) | ||
1997-03 | 都市の領域 高山英華の仕事 | 建築家会館 | グランドデザインとしての駒沢 | 高山英華 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1997-03 | 時代を超える言葉 | 日本経済新聞社 | アイディアは混沌の中でわく | 芦原義信(建築家) | ||
1997-03 | 彩 | 岐阜県企画設計センター | 21世紀の飛騨高山 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1997-03 | Sony Building 30th Anniversary 1966-1996 | ソニー企業 | ソニービルの思い出 | 芦原義信(建築家 芦原建築設計研究所) | 早いものでソニービルが銀座の一角に姿をあらわしてから30年が経過した、建設当時と現在とを比べると、ほんとに隔世の感がある。当時は新橋から京橋に至るいわゆる銀座大通りが中心であったが、ソニービルが数寄屋橋の一郭にできてから、横の銀座が縦になると云われた。その後ソニービルの前の交叉点をスクランブルで渡るとき、道路を歩いているときと異なった銀座の景観を見て、ひとしお心がはずむのである。 | ソニービル |
1997-03 | まちづくり設計競技図録 | 住宅生産振興財団 | 第13回まちづくり設計競技 審査結果報告書 | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1997-03 | 教育と施設 | アウゲ/リブロサービス | 学校建築の文化的課題 | 芦原義信(建築家) | ||
1997-03 | 国立国会図書館関西館 建築設計競技応募作品集 |
公共建築協会 | 審査を終えて | 芦原義信(審査会会長) | コンペ | |
1997-04 | こんな快適なむらがありました | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 農村アメニティーコンクールの思い出 |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1997-04 | Japanese Architecture and Alvar Aalto | Yoshinobu Ashihara | ||||
1997-06 | 景観を創る人びと | 日刊建設工業新聞社 | 雑然とからみあいながら美しい景観を | 芦原義信(建築家 芦原建築設計研究所) | ||
1997-06 | 建築文化 | 彰国社 | 吉村順三氏死去 「お別れの会」に長い列 | 記事 | ||
1997-06 | 読むクスリ | 文春文庫 | 陽樹と陰樹の話 | 上前淳一郎 | ||
1997-07 | 鹿鳴館の建築家 ジョサイア・コンドル展 |
東日本鉄道文化財団 | ジョサイア・コンドル展に寄せて | 芦原義信(ジョサイア・コンドル展実行委員長) | ||
1997-07 | ヘルシンキ/森と生きる都市 | 日本フィンランド都市セミナー実行委員会 | フィンランドと日本との都市間交流 | 芦原義信(建築家) | ||
1997-08 | 東京芸術劇場 要覧 |
東京芸術劇場 | 東京芸術劇場 | |||
1997-09 | 文芸春秋 九月号 | 文春文庫 | 宮崎元会長 誰をかばって自殺したのか | 青木辰男 | 第一勧業銀行本店 | |
1997-09 | 道議会庁舎等構内整備 構想設計競技作品集 | 北海道 | 委員長所感 | 芦原義信 | コンペ | |
1997-09 | 家とまちなみ | 住宅生産振興財団 | まちづくり設計競技 審査結果報告 |
芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1997-09 | ニホンフィンランド都市セミナー 長岡大会 | 日本フィンランド都市セミナー 長岡大会実行委員会 | 基調講演 「品格ある街並みをめざして」 |
芦原義信 | ||
1997-09 | [木と暮らす−日本の作法・フィンランドの知恵] | 日本フィンランド都市セミナー実行委員会 | フィンランドと日本との木の文化交流 | 芦原義信(日本フィンランド都市セミナー組織委員長、東京大学名誉教授) | ||
1997-09 | 建築設計資料 演劇の劇場 |
建築思想研究所 | 東京芸術劇場 中ホール | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1997-09 | 日本の現代劇場 設計事例集 |
彰国社 | 東京芸術劇場 大ホール | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1997-10 | ci | 日本建築美術工芸協会 | 97仙台ssca景観シンポジウム あいさつ |
芦原義信(aaca会長) | ||
1997-10 | 会報 | 日本住宅設備システム協会 | 「わが国の住まいと環境」 | 芦原義信(建築家) | ||
1997-10 | 地域政策 | 第一法規出版 | 落葉の掃除 都市の秩序 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1997-10 | Universal Design | ジー・バイ・ケイUD編集室 | 現代ダンディズム考 今はいいたいことはいえるストレスがたまらなくなった |
芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | ||
1997-10 | 金沢経済同友会40周年記念誌 | 金沢経済同友会 | 金沢経済同友会へのMessage | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1997-11 | 建築家30人のわが家 | 講談社 | 芦原義信 | 佐藤健 | ||
1997-12 | 図書 | 岩波書店 | 芸術のパトロン達 高階秀雄 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | 図書 | |
1997-12 | 最終講義 | 実業の日本 | 建築空間の構成と研究 | 芦原義信 | ||
1998 80歳 文化勲章受賞 | ||||||
1998-00 | The INTERNATIONAL ORDER OF MERIT | International Biographical Center | PROFESSOR YOSHINOBU ASHIHARA,LFIBA,DDG,IOM | 名簿 | ||
1998-00 | LIGHTING SENSOR '98 | ライティング・センサー | 渋谷インフォスタワー | 記事 | 渋谷インフォスタワー | |
1998-01,02 | AXIS | 駒沢オリンピック公園 | 記事 | |||
1998-01,02 | 友 Iwanami Hall |
岩波ホール | ヴィーヴァ 岩波ホール | 赤松良子 | 岩波ホール 国立フィルムセンター |
|
1998-01 | ぎおん | 祇園甲部組合 | 次の世代に | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1998-02 | 法政大学建築学科50年の歩み | 法政大学工学部建築学科 創立50周年実行委員会 | アメリカ帰りの芦原義信先生 芦原ゼミ |
|||
1998-02 | 続 わたしの「時間」 | NTTメディアスコープ | 時間 最近考えること | 編者:上野秀恒 | ||
1998-02 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 都市は誰のものか 芦原義信名誉会長に聞く |
聞き手:大江匡 | ||
1998-03 | UP University Press | 東京大学出版会 | 東京大学120周年記念シンポジウム 設計の伝説 |
シンポジウム 芦原義信 鈴木成文 安藤忠雄 鈴木博之 |
||
1998-03 | PROCESS Architecture | プロトギャラクシー | A.A."マニー”スルタンについて | 芦原義信 | ||
1998-03 | 「農村環境整備」デザインコンペ」 新しい農村集落整備 入選作品集 | 農村環境整備センター | 講評 | 芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1998-03 | 再開発コーディネーター | 再開発コーディネーター協会 | 「美しい街並みを!」 | 芦原義信(建築家・東京大学名誉教授) | ||
1998-03 | 文化 心豊かな暮らしと誇りある地域を求めて |
長銀総合研究所 | 文化を生み出す都市の仕組み にぎわいの中心 |
芦原義信 | ||
1998-04 | 川添昭男写真集 建築家100人との対話 |
芦原義信 駒沢体育館 |
川添昭男 | |||
1998-04 | 川添昭男写真集 建築家100人との対話 |
駒沢体育館 | 川添昭男 | 技術と空間、そして建築デザインの整含性を求めた近代建築は、いままでになかった新しい建築技術を開発した。ここで用いられているHPシェルもそのひとつである。直線をずらしながら重ねていくと形成される図形がHPシェルである。 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1998-04 | こんな快適なむらがありました(XII) | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 農村アメニティーコンクールの思い出 |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1998-05 | イタリア文化会館 | 第12回 マルコ・ポーロ賞 選評 |
選考委員 芦原義信 加藤周一 都留重人 |
|||
1998-05 | イタリア文化会館 | 第2回 ピーコ・デッラ・ミランドラ賞 選評 |
選考委員 芦原義信 加藤周一 都留重人 |
|||
1998-06 | わが道を歩む 東京編 | 文教図書出版 | 自己実現への努力 | 芦原義信(建築家 東京大学名誉教授) | ||
1998-07 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 名建築家の陰に名補佐官あり 現役トップ それぞれの見方 |
記事 芦原義信(芦原建築設計研究所) |
||
1998-07 | けんせつ関東 | 関東建設弘済会 | 官庁営繕事業への期待 | 芦原義信(建築家) | ||
1998-07 | 日本著名建築事務所代表作品集 | 中国建築工_出版社 | 葦原建築設計事務所 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 宮崎シーガイヤ 国立近代美術館フィルムセンター |
|
1998-08 | 文芸春秋 | 文芸春秋 | 政・官・財・文化人アンケート 二十世紀図書館 |
著書「街並みの美学」 | ||
1998-08 | 草月 | 草月出版 | 芦原義信の「雑木林」 | 記事 | 庭 | |
1998-08 | 新建築 | 新建築社 | 渋谷インフォスタワー | 記事 | この度、東京・渋谷の桜丘にある約1、700坪の敷地に地下4階、地上21階建ての高層ビルを設計することができたことは、多年にわたり渋谷で設計をしてきたわれわれにとってこの上もない幸せであった。 | 渋谷インフォスタワー |
1998-09 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 私の駆け出し時代_ | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | 大学を卒業したときは太平洋戦争のまっただ中で、すぐに建築・土木の技術士官として採用されました。戦闘するわけではなく,兵舎などの設営を行うのが主な任務です。中国・青島で訓練を受けた後、ニューギニァに派遣されました。 | |
1998-03 | 第12回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 農村アメニティー・コンクールの思い出 |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1998-09 | 家とまちなみ | 住宅生産振興財団 | まちづくり設計競技 審査結果報告 |
芦原義信(審査委員長) | コンペ | |
1998-09 | 週刊朝日 | 朝日新聞社 | ひと、死に出あう 村田ユリさんとの突然の別れ |
浜美枝 | ||
1998-10 | 日経アーキテクチャ | 日経BP社 | 総理府、新首相官邸の整備方針を発表 | 記事 | ||
1998-10 | 新建築 | 新建築社 | 対談 建築と美術 | 芦原義信(日本美術工芸協会会長・建築家) 澄川喜一(東京藝術大学学長・彫刻家) |
||
1998-10 | 建築MAP 京都 | TOTO出版 | 記事 | 京大和林泉 ユーハイムビル |
||
1998-11 | BELCA NEWS | 建築設備維持保全推進協会 | 事務局だより 芦原義信先生 文化勲章を授与される | 記事 | 文化勲章 | |
1998-11 | 週間新潮 | 新潮社 | サウナ | 芦原義信(平成10年度文化勲章・建築家) | サウナ | |
1998-12 | 観光 | 日本観光協会 | 観光と景観 | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | ||
1998-12 | ci | 日本建築美術工芸協会 | 芦原義信氏が文化勲章受賞 | 記事 | ||
1998-12 | 横浜地方裁判所保存調査記録 | 建設省関東地方建設局営繕部 | 序文 | 芦原義信(横浜地方裁判所保存等検討委員会 委員長) | ||
1998-12 | Alvar Aalto 1898-1976 | デルファイ研究所 | アルヴァー・アアルト展によせて | 芦原義信(アルヴァー・アアルト展実行委員長 建築家) | ||
1998-12 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 名誉会員・葦原義信先生文化勲章受賞 葦原義信先生の文化勲章 |
鈴木博之(本会副会長・東京大学教授) | 文化勲章 | |
1998-AUTUMN | AiCA EYES | アイカ工業 | 都市に想う | 芦原義信 | 保存 | |
1999 81歳 | ||||||
1999-00 | Works of Young Architects from Harvard University Graduate School of Design | |||||
1999-01 | 精選 新国語II | 明治書院 | 陰翳礼讃--陰と陽 | 芦原義信 | 教科書 | |
1999-01 | 建設工業新聞 1999年1月22日 |
芦原義信氏の文化勲章を祝う | 尾島俊雄 川村恒明 中根千枝 佐藤忠良 村尾成文 |
建築家・芦原義信氏の文化勲章受賞を祝う会がさきごろ、日本建築士事務所協会、建築業協会、日本建築学会、日本建築士会連合会、日本建築家協会と日本建築美術工芸協会の主催で東京・丸の内の東京會舘で行われた。 | 文化勲章 | |
1999-01 | 建設通信新聞 | 住宅地が関心の対象に | 芦原義信(日本建築美術工芸協会) | いよいよ新しい年を迎えるにあたって、来し方を振り返りながら未来を眺めると、何となくお互い絡まり合っていてはっきりと見通しがつきにくいように思われます。それは恐らく、わが国がこれだけ経済的文化的にも発展してきて、新しい希望や抱負を掲げる必要がなくなってきたように思えるからでしょうか。 | ||
1999-01 | 建設工業新聞 | 東京に整然とした街並みがほしい | 芦原義信(日本建築美術工芸協会) | いよいよ1999年を迎えた。明年は2000年という記念すべき年である。よくも戦後の我が国の経済がここまで発展してきたものと、心からうれしく思う次第である。かつてロンドンのリージェント・ストリートでスリにあい、パスポートや現金を全部取られたことがある。 | ||
1999-01 | 建通新聞 | 利用者本位の作品人魅かれ | 嘉村浩男(小林建築事務所社長) | 故郷の佐賀高校時代には美術部に所属、グラフィックデザイナーを目指していた。しかし高三の時、手に入れた東京五輪閉会式の一枚のチケットが運命を変えた。「駒沢競技場公園の景観は実に驚きで、設計者を調べました」。急きょ志望校を変更、設計者の芦原義信氏が主任教授をつとめる武蔵野美術大学造形学部建築学科に入学した。 | ||
1999-01 | 建築知識 | 建築知識 | 芦原義信氏が文化勲章を受章 建築家の受賞は6人目 |
記事 | 文化勲章 | |
1999-01-06 | 建通新聞 | 恩師 芦原義信さん |
嘉村浩男 | 故郷の佐賀高校時代には美術部に所属、グラフィックデザイナーを目指していた。しかし高三の時、手に入れた東京五輪閉会式の一枚のチケットが運命を変えた。「駒沢競技場公園の景観は実に驚きで、設計者を調べました」。急きょ志望校を変更、設計者の芦原義信氏が主任教授をつとめる武蔵野美術大学造形学部建築学科に入学した。 | 武蔵野美術大学 | |
1999-01 | 文芸春秋 | 文芸春秋 | 日本の顔 芦原義信 | グラビア | ||
1999-02 | SD | 鹿島出版会 | 新刊紹介 「建築家の履歴書」 | 記事 | 著書「建築家の履歴書」 | |
1999-03 | 「農村環境整備」デザインコンペ 農村集落(むら)の再生計画 入選作品 | 農村環境整備センター | 講評 | 芦原義信(審査委員長) | ||
1999-03 | BELCA | 建築・設備維持保全協会 | 巻頭言 これからの街並みへの関心 |
芦原義信(建築家) | ||
1999-04 | 如蘭会会報 | 如蘭会 | 芦原義信氏に文化勲章 | 記事 | 文化勲章 | |
1999-04 | 公共建築 | 公共建築協会 | ベスト公共建築を目指して | 基調講演:芦原義信 | ||
1999-05 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 設計者選定問題 プロポーザルが何だか変 審査員の立場から プロポーザルがすべてではない |
記事 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) |
コンペ | |
1999-07 | 近代建築 | 近代建築社 | 表紙の人=建築家 芦原義信 | 記事 | ||
1999-07 | WORKS OF YOUNG ARCHITECTS FROM THE HARVARD UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL OF DESIGN/JAPAN 1999 | 実行委員会 | 芦原義信(ハーバード大学GSD日本同窓会会長) | |||
1999-07 | LIVING DESIGN | リビング・デザインセンター | ひとりの時間を過ごす場所 | 芦原義信 | ||
1999-08 | 学燈 | 丸善 | 「学燈」を読む 葦原英了 | 紅野敏郎 | 家系図 | |
1999-09 | 近代建築 | 近代建築社 | 横浜市立脳血管医療センター 計画概要 |
記事 栗木森(芦原建築設計研究所) |
横浜市立脳血管医療センター | |
1999-09 | INAX REPORT | INAX | 木の香りのする軽井沢の別荘 | 芦原義信 | 軽井沢の三笠の林の中に高床の木造二階建ての別荘を建てた。そして、庭には野石を積んで露大風呂をつくり、そのわきに木造ロッグハワスのサウナ小屋を東京より移転した。そんなことで、春、夏、秋の休日にはここで自然を楽しみながら過ごすことにしている、庭の雑木や楡の大木越しに大空を眺めると、なんとも言えない自然からの感銘をうける。 | 別荘 |
1999-10 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 横浜港国際客船ターミナル、実施設計へ | 記事 | コンペ | |
1999-10 | 時の運 人の縁 | 浩気社 | 芦原先生万歳 | 野田一夫 | 777会 | |
1999-11 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 芦原氏設計の中公ビル建て替えへ 新ビルは清水が設計施工 | 芦原義信氏設計の読売中公ビルの建て替えが決まった。 同ビルは中央公論ビルとして56年に竣工,59年度日本建築学会賞作品賞を受賞し,65年に同じく芦原氏の設計で増築されていた。その後,中央公論社の経営が行き詰まり,読売新聞社の系列会社中央公論新社として99年2月に再出発するなかで,ビルは読売新聞社の所有となった。 |
中央公論ビル | |
1999-11 | 週刊新潮 | 新潮社 | パスタイムTEMPO サウナ |
芦原義信(平成10年度文化勲章・建築家) | サウナ | |
1999-12 | 近代建築 | 近代建築社 | 近代建築創刊50周年に寄せて | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | ||
1999-12 | 家庭画報 | 世界文化社 | 庭先につくった都心の露天風呂 | 記事 | 風呂 | |