掲載年月 | 掲載誌 | 発行 | タイトル | 執筆者 | 書き出し・抜粋文章 | 備 考 |
1980 62歳 | ||||||
1980-01 | CREATE | 佐藤工業 | 東京の街に美学は復活するか | インタビュー 芦原義信 聞き手 編集部 |
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1980-01 | 日比谷界隈今昔ものがたり | フコク生命 | 未来にひろがる日比谷 | 芦原義信(元東京大学教授) | ||
1980-02 | 建築知識 | 入浴の装置空間(箱根の別荘) | 記事 | |||
1980-02 | 日経アーキテクチュア | 日経BP社 | 図書室 建築空間の魅力 私の体験 |
記事 <km> |
著書「建築空間の魅力」 | |
1980-02 | 有名建築その後 | ソニービル完工後の思い出 | 芦原義信(建築家) | ソニービル | ||
1980-02 | 銀座百点 | 銀座百店会 | 銀座への提案 そで看板と垂れ幕 |
芦原義信 | ||
1980-02 | 日経アーキテクチャー 有名建築その後 第1集 | 日経BP社 | ソニービル | |||
1980-02 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 新本店だより その六 | 第一勧業銀行本店 | ||
1980-02/03 | まえだ | 前田建設 | 特別講演 80年代の建築について思うこと |
芦原義信 | ||
1980-03 | 主婦之友 | 主婦之友社 | 円い石の家 アルベロベロのすまい |
芦原義信(建築家) | ||
1980-03 | 田園都市 創刊号 | 日本地域社会研究所 | 小さな庭の雑木林 | 芦原義信(建築家) | 庭 | |
1980-03-31 | ソニービルニュース | ソニー企画(株) | お別れにあたり | 賀田泰弘 | ソニービル | |
1980-04 | 建築会 | 人物登場 日本建築家協会会長となった 芦原義信 |
記事 | |||
1980-04 | 21世紀への提言 心のふれあう都市 | サンケイ出版 | 日本の文明と人間のための都市づくり | 著者 中曽根康弘 対談 芦原義信/中曽根康弘 |
中曽根 このごろ、「八○年代に日本人は何を為すべきか」というテーマで、いろいろな分野の方たちから実に多様多彩な提言が出ていますね。これを何か浮ついた流行現象のように見る人もあるようですが、私は同意できません。 | |
1980-04-05 | サンデー毎日 | シネマ人間紀行 岩波ホール創立のころ |
高野悦子 | ・・・岩波氏は私のその願いをただちに聞き入れてくれた。設計者の芦原義信氏も短期間のうちに、私の望んだ通りのホールに改造して下さった。この大改造がなければ、岩波ホールは全く別の道を歩んで行ったことだろう。 | 岩波ホール | |
1980-04 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 新本店だより その七 | 第一勧業銀行本店 | ||
1980-04 | 建設界 | 建設界通信社 | 人物登場 日本建築家協会会長になった芦原義信 |
記事 | ||
1980-05 | 旅 | 日本交通公社 | ニューヨークと私 摩天楼 |
芦原義信(建築家) | ||
1980-05 | 暮らしの手帳 | 蒸らしの手帳社 | 私の読んだ本 | 佐々木ますみ(高校職員) | 著書「街並みの美学」 | |
1980-06 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 新本店だより その八 | 第一勧業銀行本店 | ||
1980-07 | 公共建築 | 営繕協会 | 街づくりと公共建築 | 芦原義信 | これまでの高度成長により日本は、衣食住のうち「衣」と「食」についてはおそらく世界のトップレベルに達したと思われるが、「住」について、街並みとか都市ということで考えると国際的レベルとはいえないところがある。しかし、それぞれ一般の人もこの方面に意識を向け始めようという時期になっているのではなかろうか、 | |
1980-07 | 図書 | 岩波書店 | こぼればなし | 記事 | 著書「街並みの美学」 | |
1980-08 | ポスト | 意味のある街並み | 芦原義信(建築家) | 世界を旅行してはじめての都市を訪ねるとき、まず手に入れたいものはその街の地図であろう。外国の地図にはわが国の地図とことなって、道路の名称や広場の存在がはっきりと明示されている。 | ||
1980-08 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 新本店だより その九 | 第一勧業銀行本店 | ||
1980-09 | 東京大学工学部 | 現代国語 編入試験問題 | 設問1 日本の都市景観が貧弱な理由について、著者の論理の展開がわかるようにして、二百字以内でとりまとめなさい。 設問2 著者のいう「うち」と「そと」について、あなたの日常の生活体験を通して感じたことを四百字以内で書きなさい。 |
試験問題 著書「街並みの美学」 |
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1980-10 | 季刊 田園都市 | 日本地域社会研究所 | ちいさな庭の雑木林 | 芦原義信(建築家) | ||
1980-10 | 新建築 | 新建築社 | 美しい街並みを | 芦原義信 | 「衣食住」といいますが、いま日本は、着る物、食べるものは世界的水準に達していると思います.また、おいしいものを少し節制しないと、長生きできないなどといわれながら、アジアには2,000万人も飢えている人びとがいるという、不思議な時代です。 | |
1980-10-16 | 日経新聞 | 80豊かな住まいとは 居間の広さの確保 | 芦原義信 | 衣食往のうち、わが国の衣と食とはとにかく世界的レベルに達しでいることは間違いのない事実であろう。しかしながら、こと住まいに関してはどうやらかなり低いレペルであることも闇違いない事実である。海外旅行を終えて久しぶりに成田空港から都心に向かうと、うさぎ小屋とでも呼びたくなるような小住宅が次々と立ち並んでいる。 | ||
1980-10-21 | 徳島新聞 | 徳島新聞社 | 大切な精神の豊かさ | 芦原義信(日本建築家協会会長) | 衣食住のうち、わが国の衣と食とはとにかく世界的レベルに達していることは間違いない事実であろうが、こと住まいや街並みに関しては到底世界的レペルに達しているとはいいがたい。八○年代をむかえてわれわれの価値観は多様化して、ただ単に食べて寝ればよいという住まいではもはやもの足りなくなってきた。 | |
1980-10-22 | 読売新聞 | 読売新聞社 | 自然のリズムと美しさ・・・雑木林 | 霊山 記者 | 小田急線・代々木上原駅近く。道順も教わっていたのに、ウロウロしてしまった。それをご覧になっていたらしく、東京造形大教授をしている初子夫人といっしょに門まで迎えに出て来られ、うれしそうに笑われた。「皆さん、そうなんです。ご近所に、いかにも建築家の作品らしい邸宅が何軒もあるので・・・ | |
1980-10-30 | 日本アーキテクチュラレンダラーズ協会 | 来賓祝辞 建築の文化に貢献 |
芦原義信(日本建築家協会会長 武蔵工業大学教授 建築家) | 本日は日本A&R協会設立総会に際し大変うれしい事だと思い馳せ参じた次第でございます。というのは今から35年前終戦に程近い時期にアメリカに留学を致しニューヨークのマルセル・ブロイヤーの元で働いておりました頃レンダラーという日頃あまり聞いた事のない様な職業の人達といろいろなコンタクトがありました。 | ||
1980-10 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 新本店だより その10 少エネ対策は世界のトップレベル |
第一勧業銀行本店 | ||
1980-11 | 建築行政 | 今後の建築界のあり方と建築行政に望むもの | 芦原義信 | このところ日本の建築寂は悩み多い日々を送っている。在来、建築の設計料というものは工事費の%できめられ、一流の建築家が設計しても、駈けだしの建築家が設計しても同額となるという極めて民主的な基準を示すものであった。ところが咋今、このことが公正取引委員会で問題となり、現在では白由な競争をすることになった。 | ||
1980-11 | ALUMNI | |||||
1980-12 | Let's | 三井不動産 | 「街並みの美」を追って考えたこと。 | 芦原義信(日本建築家協会会長) | 街並みは、そこに住みついていた人々が、その歴史の中でつくりあげてきたものであり、そのつくられかたは風土と人間とのかかわりあいにおいて成立するものである。 私が初めてイタリアヘ行ったのは、いまから3Q年近く前ですが、そこで思ったのは、私たちが日頃感じていた空間とイタリアの空間とは何か違うということでした。 |
著書「街並みの美学」 |
1980-12 | アルファー・N | ナカ工業 | 街並みの美学。その意識と発想 | 対談 芦原義信 篠原美代子 編集部 |
芦原:私は、いまの日本の都市は、こんなに醜悪な街はないのではないかと思うほどに、美に対して無頓着ではないかと思いまず。とにかく、街へ行っても、ソデ看板だの、タレ幕だのと余計なものをそれこそ色々とくっつけて、どれが建築だかわからないほどに醜悪です。 | 著書「街並みの美学」 |
1980-12 | 中央公論 | 中央公論社 | 建築家・街並・都市環境 | 芦原義信(日本建築家協会会長) | このところ日木の建築家は悩み多い日々を送っている。 在来、建築の酸計料は工事費のバーセントできめられ、どの建築家が設計しても同額となるということであった。ところが咋今、このことが公正取引委員会で問題となり、現在では自由な競争をすることになった。 |
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1980-12 | 日建設計 その歴史の情念と感覚 |
日建設計 | 文化性のある社会環境を | 芦原義信(日本建築家協会会長) | アメリカにスキッドモア・オーイング・アンド・メリルという非常に大きな設計事務所があるけれども、それの日本版みたいなものはいずれできるのではないかと思っておりましたが、それが、日建、三菱地所というような、昔からの伝統というか、住友、三菱の背景を持って出てきた大きな組織と、そのほか、・・・ | |
1980-12 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 新本店だより その11 新本店はダイヤルイン電話に |
第一勧業銀行本店 | ||
1981 63歳 | ||||||
1981-00 | 新本店2月9日開店 | 第一勧業銀行 | 竣工パンフレット | 第一勧業銀行本店 | ||
1981-00 | 新本店のご案内 | 第一勧業銀行 | 竣工パンフレット | 第一勧業銀行本店 | ||
1981-00 | ハートの銀行ご案内 | 第一勧業銀行 | 竣工パンフレット | 第一勧業銀行本店 | ||
1981-01 | 広報 ぬまづ | 沼津市 | 市長新春対談 美しいまちづくりを語る |
芦原義信(日本建築家協会会長) 沼津市長 |
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1981-01 | 建設月報 | 建設広報協議会 | 座談会 美しき街づくり |
出席者 芦原義信(日本建築家協会会長) 篠原美代子(多摩美術大学講師) 本吉庸浩(読売新聞論説委員) 司会:松谷蒼一郎(住宅局参事官) |
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1981-02 | 日刊建設通信 | 心のふれあいの新しいシンボル 第一勧業銀行本店 |
記事 | |||
1981-02 | DKBニュース | 第一勧業銀行 業務推進本部 |
心のふれあいの新しいシンボル 新本店オープン |
記事 | ||
1981-02 | 地域文化を考える | 埼玉県自治研修所 | 街並の美学 | 芦原義信(日本建築家協会会長) | 著書「街並みの美学」 | |
1981-03 | 建築知識別冊 ライブ・インテリア |
街空間とインテリア | 芦原義信 | |||
1981-03 | 中央公論 | 中央公論社 | 建築家の住まい | 芦原義信(日本建築家協会会長) | ・・・先日、ドイツの建築家であり哲学者であるウィンター氏夫妻が来日された。西欧文明のゆきづまりは日本での仏教的な考え方によってのみ救われると信じておられるとのことで、同氏にわが建築家協会の講堂で「ゲシュタルト・ウント・ゲシュタルテン」という題で講演を依頼し、秋山さと子さんにも出席を願いした。 | |
1981-03 | はあと | 第一勧業銀行 業務第1部広報室 | 一体化のシンボル新本店営業開始 | 第一勧業銀行本店 | ||
1981-03 | ライブ・インテリア | 建知出版 | 「内」と「外」の同視--街のインテリア化 | 談・文責編者 | ||
1981-03 | 東陶通信 | 東陶機器 | 新建築紹介 第一勧業銀行本店 |
記事 | ||
1981-03 | ローマ・インテルロッタ | イタリア文化会館 | 芦原義信(日本建築家協会会長) | |||
1981-03 | 日経アーキテクチャー | 日経マグロウヒル社 | ケーススタディー 超高層オフィスビル 第一勧業銀行本店 |
記事 | まとまりのある広場サンクンガーデン 東京のオフィス街といえば、大手町・丸の内地区。皇居に面する日比谷通り側の景観が想い出されよう。だが、日比谷通りをさらに南へ下がった内幸町地区もオフィス街としての新しい貌を整えつつある。東に銀座、南に新橋の商業地区、西に霞が関の宮庁街、これらの接点にあたる。この2月に営業を開始した第一勧業銀行本店はその内幸町1丁目、日比谷通りと国会議事堂から銀座へ向かう道の交差点角地に位置する。 |
第一勧業銀行本店 |
1981-04 | 別冊新建築「日本現代建築家シリーズ2」 内井昭蔵 |
新建築社 | 好漢・内井昭蔵 | 芦原義信 | 内井昭蔵さんは灘刺としていて、エネルギュシュで、物事をてきぱきとさばき、しかも好人物ときている.その上、設計がとてもうまい、鬼に金棒のような人物である、そして彼の作品である桜台コートビレジや、身延山久遠寺の宝蔵庫のような作品のなかに、落ち着いた人問性豊かなデザインの味わいがあり、またその中にひらめくような都会的な洗練さがあるのが人の心を打つのだと思う。 | |
1981-04 | 新建築 | 新建築社 | 第一勧業銀行本店 | 記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1981-04 | 新建築 | 新建築社 | たった2日のイタリア旅行 | 芦原義信 | 第一勧業銀行本店の大営業室の中心にマンズーの彫刻をどうかという話があり、昨年の春、関係者でこれを下見に行くことになった。マンズーは今世紀のイタリア彫刻の巨匠として活躍しているので、彼や彼の作品に直にふれるのはとても楽しみであった。 | 第一勧業銀行本店 |
1981-04 | 新建築 | 新建築社 | 第一勧業銀行本店設計メモ 内外の事例を参考にして |
守屋秀夫 | 第一勧業銀行の設計をすすめるにあたり、まず内外の事務所・銀行の事例を集めて検討することした。設計を始めたのは、もう7、8年前のことになるが、当時、日本の高層事務所建築も、ほぼ100m以上の高さのものだけでも、すでに10棟余り完成していたので、これらぞできるだけ見学して回った、また、アメリカの事例も、いくつかのビルを訪れ、有務空間の使い方にも直接触れてきた。 | 第一勧業銀行本店 |
1981-04 | ディテール | 彰国社 | 縦線を強調したアルミ・カーテンウォール 花崗岩打込みによるカーテンウォール 営業室大屋根のトップライト 乾式吊工法による大理石張りの壁面仕上げ |
記事 | 縦線を強調したアルミ・カーテンウォール ゴンドラのガイドレールを出方立形式にして縦線を強調したアルミ製カーテンウォールである。方立は窓枠部分と出方立部分とが一体の大型の押出型材で造られ、外観として出方立の先端部分だけが見えて窓枠部分が目立たないように先端部分の形状寸法が考えられている。 |
第一勧業銀行本店 |
1981-04 | 火災 | 日本火災学会 | 第一勧業銀行本店の防災計画 | 守屋秀夫 | 第一勧業銀行本店 | |
1981-04 | 近代建築 | 近代建築社 | 第一勧業銀行本店 | 記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1981-04 | 近代建築 | 近代建築社 | サンクン・モールあれこれ | 澤田隆夫 | ここでは、この建物の特長の一つである、サンクン・モールのあれこれについて、思いつくままに、ふれてみることにしょう。 | 第一勧業銀行本店 |
1981-04 | 建築文化 | 彰国社 | 第一勧業銀行本店 | 記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1981-04 | 建築文化 | 彰国社 | 第一勧業銀行本店の建設に当たって | 田向弘毅 | 第一勧業銀行本店 | |
1981-05 | 文芸春秋 | 文芸春秋社 | 同級生交談 | 記事 | ||
1981-05 | 建築東京 | 東京建築士会 | 第一勧業銀行本店の防災計画 | 守屋秀夫(芦原建築設計研究所) | 第一勧業銀行本店 | |
1981-05 | 月間 みんぱく | 国立歴史民族学博物館 | 館長対談 歴博百年の計 |
対談 井上光貞(国立歴史民俗博物館長) 梅棹忠夫(館長) |
国立歴史民俗博物館 | |
1981-05 | The New York I Love 私のニュー・ヨーク |
中央公論美術出版 | 序 | 芦原義信(建築家) | ソニービル | |
1981-06 | 新建築 | 新建築社 | 対談 日本的都市型住居への道 | 芦原義信 藤本昌也 |
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1981-06 | JA | 新建築社 | HEAD OFFICE OF THE DAI'ICHI KANGYO BANK | 記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1981-06 | JA | 新建築社 | Design Influence of Reference Works,Domestic and Foreign | 第一勧業銀行本店 | ||
1981-07 | デェケィエム マネージメント レポート | 第一勧業経営センター | 経営そぞろ歩き マンズー「踊りのあとで」 |
牧野東彦(東京リース副社長) | 第一勧業銀行本店 | |
1981-08 | 建築文化 | 彰国社 | マルセル・ブロイヤーを悼む | 芦原義信 | ||
1981-09 | 土地住宅問題 | 住宅産業開発協会 | 対談 街と住まいと人間と |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) 平居富雄(東京大学医学部分院神経科医長) |
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1981-09 | TC 戸田建設100周年記念特集号 |
戸田建設 | 対談 人間と建築との出会い |
戸田順之助(戸田建設社長) 芦原義信(建築家) |
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1981-9 | 言語生活 | 筑摩書房 | 対談 様式の移るなかで |
芦原義信(建築家) 粟津潔(グラフィック・デザイナー) 山本夏彦(評論家) 杉戸清樹(国立言語研究所員) |
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1981-10 | ディティール | 彰国社 | 大型タイルの型枠先付け工法による外壁 リブ状斫り仕上げによる収蔵庫外壁 ブロンズ製の出入口扉 |
国立歴史民俗博物館 | ||
1981-10 | SONY Family | ソニー | 創造への挑戦 | 芦原義信(建築家) | ソニービル | |
1981-11 | SD別冊 高層ビルの構成 第一勧業銀行本店の記録 |
鹿島出版 | 座談会「銀行建築の設計をめぐって」 | 薬袋公明(日建設計副所長) 芦原義信(所長) 守屋秀夫(千葉大教授 元所長) |
芦原:薬袋さんは三和銀行の設計をやられて、つねづね、銀行の設計に関してはエキスパートだということで尊敬しているのです。そういう意味で今日は第一勧業銀行本店ビルを見ていただいて、いろいろご批判いただけることは大変光栄です。 | 第一勧業銀行本店 |
1981-11 | Casabella | 記事 Yoshinobu Ashihara |
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1981-11 | 公共建築 | 営繕協会 | 国立歴史民族博物館における先付工法 | 佐々木雄二(芦原建築設計研究所) | 国立歴史民俗博物館 | |
1981-11 | 10周年を迎えたトップバンク 第一勧業銀行 |
朝日ソノラマ | 八木沢三夫 | 創立以来の念願だった新本店(東夜・内幸町)が完成し、合併満10周年を8カ月後に控えた56年2月9日から営業が開始された。 それに先立つ完成按露パーティーに招かれて行ってみたが、まさに周囲を圧する偉容である。高さ140メートル、地上32階、地下4階。30階から上は役員用の個室、応接室、会議室、食堂、賓客接待室などになっているが・・・、 |
第一勧業銀行本店 | |
1981-11 | 建設月報 | 建設省広報室 | 座談会 公共空間における文化性 |
芦原義信(日本建築家協会会長) 中原千枝(東京大学東洋文化研究所長) 滝沢義夫(倉敷市長) 京須実(都市局参事官) 高野隆(大臣官房官庁営繕部長) |
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1981-11 | 都市美 その継承と創造 |
横浜市 | 芦原義信(建築家) | 街並は、その都市に住む人々が、その歴史の中でつくりあげてきたもので、そのつくられたかは風土と人間とのかかわりあいにおいて成立するものである。その意味で横浜の街並をさらに美しく次の世代に伝えられるかどうかは、我々の努力いかんにかかっていると思う。 | ||
1982 64歳 | ||||||
1982-00 | 東京の住まいと暮ら史 | 東京都 | 未来の住宅展望 | 芦原義信 | ||
1982-01 | 新建築 | 新建築社 | 東京第一科学者キリスト教会 | 芦原太郎 | ||
1982-01 | a+u 建築と都市 | エー・アンド・ユー | 建築家の交流 | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1982-01 | 土地住宅問題 | 住宅産業開発協会 | 美しい街づくり | 川越昭(NHK解説委員) 芦原義信(日本建築家協会会長) 田村明(法政大学教授) 石井幹子(照明デザイナー) |
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1982-03 | 中央公論 | 中央公論社 | 女 第一線 石井幹子 |
石井幹子さんはすぐれた才女である。その上、我々デザイン界でもとびぬけて美人のほまれ高い人である。 | ||
1982-03 | 三国一朗の人物誌 | 毎日新聞社 | 芦原義信 | 三国一朗 | ・・・私が「芦原義信」と印刷された四文字を最初に見たのは、昭和三十五年十月発行の『別冊みづゑ・藤田嗣治特集号』という美術誌でのことで、その口絵に掲げられたフジタの二枚のカラー写真のうち、紺の縞のTシャツを着、小さな帽子をかぶり、両手を合わせるようにして笑っているフジタを撮った写真の下に「芦原義信氏撮影1954」とあったのである。 | 藤田嗣治 著書「街並みの美学」 |
1982-03 | ニーノ・かルーソ展 | 志野陶石 | ごあいさつ | 芦原義信(日本建築家協会会長) | ||
1982-03 | フロンティア文化の創造は可能か | 総合文化開発会議札幌大会実行委員会 | 都市景観は美の創造から | 芦原義信(日本建築家協会会長) | ||
1982-03 | 暮らしと文化を考える <第1回岡山県文化シンポジウム報告書> |
岡山県 | 文化的視点に立った街づくり | 芦原義信(日本建築家協会会長) | ||
1982-04 | 高等学校 国語I | 内部と外部 | 【学習の手引き】 一 「建築空間を限定する三要素」(276ページ7行)がそれぞれ果たす役割を考えてみよう。 二 本文で述べられている日本と西欧における「内部」と「外部」のとらえ方の差異について、その要旨を二 百字程度でまとめよ。 |
著書「街並みの美学」 | ||
1982-04 | スピーチの常識大百科 | _芦原英了の葬儀に際し遺族の挨拶 | ||||
1982-04 | GA | 綜建築研究所 | ディテール紹介 営業室天井と斜め屋根 |
記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1982-04 | フィルムセンター視察報告書 | 芦原義信 | ||||
1982-04 | GA | 旭硝子 | 日本建築の美と対立 | Roland Jiro Nishimura | ソニービル | |
1982-06 | 建築知識 | 役物の表情 | 黒川哲郎 | 芦原建築設計研究所の国立歴史民俗博物館は、衛星通信恥と対照的に、複雑なボリュームの重なりが特徴的なエレベーションをつくり出している | 国立歴史民俗博物館 | |
1982-06 | 人間都市への復権 文化とアメニティーの再生 |
ぎょうせい | 座談会 うるおいある都市づくり どう進めるか |
芦原義信 加瀬正蔵 瀬底恒 本吉庸浩 |
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1982-06 | イタリア・タイル過去と明日展 | イタリア文化会館 | イタリアの伝統とデザイン | 芦原義信(建築家) | ||
1982-07 | 世界のフィルム・ライブラリー1982年 | 川喜多記念映画文化財団 | 世界各地のフィルム保管庫視察報告書 | |||
1982-07 | 街づくりとイベント | 横浜市街づくりシンポジウム実行委員会 | ヨコハマ---水辺、そして光と影 | 芦原義信(日本建築家協会会長 武蔵野美術大学教授) | ||
1982-08 | 造園夏季大学講義要録 | 日本造園集景協会 | 外部空間の設計 | 講師:芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1982-08 | 新建築 | 新建築社 | シンポジウム 近代建築をどうとらえるか |
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1982-09 | 家庭画報 | 世界文化社 | _夫婦でお酒を | |||
1982-09 | 銅 | 日本銅センター | 材料のイメージを大切に 第一勧業銀行本店 |
記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1982-09 | 朝日新聞 | 朝日新聞社 | 新ふるさと再見 出を待つ民族の遺産 |
記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1982-09 | 第22回 全国都市再開発横浜大会 報告書 |
全国都市再開発促進連盟 | 記念講演 都市の再生を求めて |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1982-09 | 行政管理 | 東京都職員研修所 | 街の色と音 雑感 | 芦原義信(建築家) | ||
1982-10 | 深田祐介の東西旅案内 | 新潮社 | 深田祐介 | |||
1982-10 | 創造の日々 そしていま30年 | 石川県建築設計監理協会 | 寄稿 創立30周年記念に寄せて | 芦原義信(前日本建築家協会会長) | ||
1982-10 | エレベータ界 | 日本エレベータ協会 | 芦原義信先生エレベータを語る | 語り手:芦原義信 聞き手:石井理一(当協会専務理事) 佐々木武彦(本誌編集委員) |
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1982-11 | 週間文春 | 文芸春秋 | ワイン・セラーのある家に住んでみたい | 芦原義信(建築家) | 広告 | |
1982-11 | 金沢市文化ホール パンフレット |
金沢市 | 金沢市文化ホール | |||
1982-11 | 金沢市文化ホールご案内 パンフレット |
金沢市 | 金沢市文化ホール | |||
1982-12 | 週間文春 | 文芸春秋 | ワイン・セラーのある家に住んでみたい | 芦原義信(建築家) | 広告 | |
1982-12 | 札幌の建物 | 札幌市教育委員会 | 札幌の建物を眺めて | 芦原義信 | ||
1982-12 | カーテンウォール JCMA賞 |
日本カーテンウォール工業会 | 第一勧業銀行本店 | 記事 | 第一勧業銀行本店 | |
1982-12 | 横浜商工 月報 | 横浜商工会議所 | 講演 都市の再生を求めて |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1983 65歳 | ||||||
1983-00 | 季刊 装飾デザイン フィンランドの染織と工芸 |
私のフィンランド 自然を享受する心 |
芦原義信 | |||
1983-00 | 超高層ビルの設計と設備に関する技術フォーラム | テクノロジートランスファー研究所 | 趣旨 | 芦原義信(フォーラムチェアマン) | ||
1983-00 | 1984年度版 木葉会 名簿 | 卒業して40余年 | 芦原義信(1942年卒 芦原建築設計研究所) | ●1983-99_1984年度版 木葉会名簿_00_表紙 ●1983-99_1984年度版 木葉会名簿_p09-p10_卒業して40余年 ■1983-99_1984年度版 木葉会名簿_卒業して40余年 |
東京大学 | |
1983-00 | 1983原宿 | 原宿シャンゼリゼ会 | 原宿の景観と街づくり | |||
1983-00 | 世界の広場と彫刻 | 中央公論社 | ごあいさつ | 芦原義信(建築家・現代彫刻懇談会) | ||
1983-00 | 花と緑で人の和を | 自民党 花と緑の運動推進本部 |
緑の日本を | 記事 | 著書「続・街並みの美学」 | |
1983-01 | 公共建築 | 営繕協会 | 私の好きな公共建築 美術館建築 |
長谷川栄 | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-01 | 新建築 | 新建築社 | シンポジウム 近代建築をどうとらえるか |
パネラー 磯崎新 篠原一男 芦原義信 司会 香山壽夫 |
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1983-01 | 新建築 | 新建築社 | 金沢市文化ホール | 記事 | 金沢400年を記念して、伝統的な町並みと文化を守り育てる活動の拠点となる施設。1,000名収容のホール棟と大会議室・茶席・展示室などの展示棟の2礫からなり、その間を斜めに横切り、双方のロビーにつながるアプローチ空間があり、その中央に広場が設けられている。 | 金沢市文化ホール |
1983-01 | 新建築 | 新建築社 | 井上一 | 敷地は四辺が道路に接し、その南側道路の東の突当りは尾上神社の正面となる位置である。この周辺は水と緑の再生計画や市の文化ゾーン計画の一画をなす地域であり、市の街づくり計画の中心的役割となるところである。伝統的環境と新たにできる建築による環境とを如何にマッチさせるかが大きな課題である。 | 金沢市文化ホール | |
1983-01 | 日経アーキテクチュア | 日経マグロウヒル社 | 金沢市文化ホール | 記事 | 金沢市文化ホール | |
1983-01 | 日経アーキテクチュア | 日経マグロウヒル社 | 斜行軸と広場を核に街並の建築をつくる | 村上正昭 | 設計者の芦原義信氏の考え方はこうだ。「建築そのものが自己主張し過ぎて、街並みに赤とか青とか、あまり色々なものがあると、そこにせっかく美人が通りかかっても映えない。私は、建築を主役というよりむしろ、人を受け入れ、引き立たせる背景、舞台ないし下敷きになるようなものと思っている」 | 金沢市文化ホール |
1983-02 | 建築画法 | 国立歴史民族博物館 | 佐々木雄二(芦原建築設計研究所) | 国立歴史民俗博物館 | ||
1983-02 | 雅由実 あゆみ |
秋田県建築士会 | 新聞の切り抜き ようこそ秋田へ |
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1983-02 | 講演記録 美しいまちを創造する |
特別区協議会 | 美しいまちを創造する | 講師:芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1983-02 | 都市景観 | 北九州市 | 座談 みどり豊かな魅力のあるまちに |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) 大坪和子(明治学園講師) 神崎義夫 |
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1983-02 | 建築実務 | 経済調査会出版部 | ホール棟と展示棟の間に共用の広場を持つ 金沢市文化ホール | 井上一 | 金沢市文化ホール | |
1983-02 | 読売新聞 | 読売新聞社 | 権威より親近感 金沢市文化ホール |
馬場璋造 | この金沢市文化ホールも、古都金沢にふさわしい内容とデザインが、市当局と設計者の緊密な連係プレーによって盛り込まれている。 | 金沢市文化ホール |
1983-02 | 新建築 | 新建築社 | 月評 | 岸田省吾 | 「金沢市文化ホール」は恐ろしいほどコンセプトが明快で、必ずしもあたりが柔らかいという建物ではないだろう。しかし、作者の芦原氏が長年暖めてこられた都市建築の在り方に対する決意が痛いほど伝わってくるのだ。実に小気味よい作品である。 | 金沢市文化ホール |
1983-03 | 週刊新潮 | 読売新聞社 | ローカル佐倉に現代の城 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-03 | 建築雑誌 作品選集 |
読売新聞社 | 東京芸術劇場 | 選評 茶谷正洋 | 東京芸術劇場 | |
1983-03 | 道 昭和の一人一語集 | 中統教育図書 | 創造への道 | 芦原義信 | ||
1983-03 | 図録 国立歴史民族博物館 |
国立歴史民族博物館 | 国立歴史民俗博物館 | |||
1983-03 | 神奈川新聞 | 神奈川新聞社 | 横浜の街づくりとアメニティー | 対談 細郷道一 芦原義信 |
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1983-03 | 日刊建設工業新聞 | 日刊建設工業新聞社 | 国立歴史民俗博物館 竣工 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-03 | JA | 新建築社 | Shinkenchiku Residential Design Competition 1983 | 記事 | ||
1983-03 | 近代建築 | 近代建築社 | きんけん・いんふぉめーしょん 開かれた建築学会に 芦原義信氏 新会長に就任 |
日本建築学会 | ||
1983-04 | 別冊新建築 | 新建築社 (1/2) |
日本現代建築家シリーズ 芦原義信 |
国立歴史民俗博物館 京大和林泉 衆議院副議長公邸 金沢市文化ホール 第一勧業銀行本店 東京會舘インテリア 東京第一科学者キリスト教会 KPIタウン 資生堂 ザ・ギンザ モービル石油中央研究所 大阪IBMビル 武蔵野美術大学 秋田平野ビル 資生堂本社ビル 貿易研修センター 富士フィルム葉山寮 |
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1983-04 | 別冊新建築 | 新建築社 (2/2) |
日本現代建築家シリーズ 芦原義信 |
富士フィルム東京本社ビル モントリオール万国博・日本館 ソニービル 杉並区立杉並会館 茨城県民文化センター 日本郵船青山寮 駒沢公園体育館・管制塔 岩波書店営業部 岡山県児童会館 香川県立図書館 八千代市厚生会館 日光ユースホステル 中央公論ビル |
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1983-04 | 新建築 | 新建築社 | 国立歴史民族博物館 | 芦原義信 | 私が東京大学に在職中の昭和47年の暮も押し迫まるころ、この国立歴史民俗博物館の設計を担当する機会が与えられたことは私の一生にとっても思い出深いことがらであった。随分長い期問をかけて諸先輩が議論をかさねてこられただけに構想は雄大で、私もしばしば設立準備委員会に出席してみて得るところが多かった。このような大規模な公共建設の設計は私の一生最後の仕事になるかも知れないと思って所員と一緒にこの設計に精進したのである。 | 国立歴史民俗博物館 |
1983-04 | 新建築 | 新建築社 | 計画ノート | 守屋秀夫 | 国立歴史民俗博物館、略して歴博の建設地は佐倉城の跡地にある。慶長末年に築かれ、江戸時代を通じて佐倉藩の中心となっていた城である、下総台地と呼ばれる複雑に入りこんだ地形を巧みに利用し、石垣こそないが、なん重かの空濠を巡らした城の構えがよく残っている。歴博の建設にあたって、この城の遺構の復原、整備、保存と自然環境の保持が、重要な課題のひとつとなった。 | 国立歴史民俗博物館 |
1983-04 | 日経アーキテクチャー | 日経BP社 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | ||
1983-04 | 新建築東京百景 | 東京都観光連盟 | 39 駒沢オリンピック公園 | 記事 | 駒沢公園体育館・管制塔 | |
1983-04 | 建設月報 | 提言 都市再開発への期待と不安 |
芦原義信(建築家・武蔵野美術大学教授) | |||
1983-spring | The MIT Press | MIT | The Aesthetic Townscape | Yoshinobu Ashihara | 著書「街並みの美学」 | |
1983-05 | 新建築 | 新建築社 | 月評 | 竹山実 大田隆信 永田祐三 岸田省吾 |
国立歴史民俗博物館 | |
1983-05 | これからどうなる | 岩波書店 | これからの建築 近代建築のゆくえ |
芦原義信 | 二十世紀初頭の機能主義によって代表される近代建築の明快さは失われて、われわれの時代の建築は混沌の中に低迷するようになってきた。私にはコルビュジェやオスカー.ニーマイヤーのような華やかな巨匠時代は過ぎ去ったように思える。そして、われわれの祖先が残してくれた都市の文脈をよく読みとりながら、残すべき歴史的環境はこれを保存して後世に伝え、時代の要求にあわなくなった部分を逐次改善してゆくような「町医者的都市計画」の考えかたも登場してきたのである。 | |
1983-05 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | ドロドロの社会と構造家 | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1983-05 | 南信日日新聞 | 南信日日新聞社 | 北澤美術館の設計にあたり | 芦原義信(芦原建築設計研究所 所長) | ||
1983-05 | The Show Stopper 上月晃リサイタル |
梅田コマ劇場 | 芦原義信(建築家) | |||
1983-05 | TC | 戸田建設 | 作品紹介 金沢市文化ホール |
記事 | 金沢市文化ホール | |
1983-06 | SANKI MONTHLY | 三機工業 | ルポルタージュ「歴史へのいざない」 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-06 | ja | 新建築社 | NATIONAL MUSEUM OF JAPANESE HISTORY | 国立歴史民俗博物館 | ||
1983-06 | View | コトブキ | ルーツへの、ルート | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-06 | 暮らしのShape-up読本 | 松下電工 | 採光・再考 目的別照明法を。ろうそくで読書もします |
芦原義信(建築家) | <・・・>たとえば私の場合、本を読むときはスタンドやろうそくの灯を。静かに音楽を聴く場合は、室内をほの暗くして屋外照明でムードを出す。また、団らんのときは間接照明を使って、部屋全体を温かく包むように……。 | |
1983-06 | JA | 新建築社 | KANAZAWA MUNICIPAL CULTURE CENTER | 金沢市文化ホール | ||
1983-06 | JA | 新建築社 | KYO-YAMATO RINSEN RESTAURANT | 記事 | 京大和林泉 | |
1983-07 | 商業空間 | 日本店舗設計協会 | 83 商空間デザイン賞 審査評 |
審査員:芦原義信 | コンペ | |
1983-07 | 原宿1983 | 原宿シャンゼリゼ会 | 原宿の景観と街づくり | 談:芦原義信 | ||
1983-07 | 季刊 装飾デザイン | 学習研究社 | 私のフィンランド | 芦原義信(建築家) | ||
1983-07 | 有名人50人の 禁煙おもしろ奮戦記 |
主婦と生活社 | 禁煙国フィンランドと肺炎のダブルパンチで愛煙家ダウン | 芦原義信(日本建築家協会会長) | ||
1983-07 | 私の読書術 | かのう書房 | 20年間追求した「風土」 | 芦原義信 | 風土 | |
1983-07 | 白石50年小史 | 白石 | 環境創造への道 | 芦原義信(建築家) 白石泰(代表取締役社長) 白石俊多(代表取締役副社長) |
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1983-07 | 日経 | 魅力見直し「再開発」遅くない”文化的町ずくり” | 「まちづくりシンポジウム」基調講演 |
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1983-07 | 教育と施設 | アウゲ/リブロサービス | 学校環境について考える | 対談 永井道雄(国連大学特別顧問) 芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) 司会 栗山幸三(文京施設協会) |
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1983-08 | POP EYE | 総合報道 | 国立歴史民族博物館のサイン | 佐々木雄二(芦原建築設計研究所) | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-08 | 行政の文化化 | 学陽書房 | 都市の景観 | 芦原義信 | ||
1983-08 | 静岡県 都市景観賞のあゆみ |
静岡県 | 1992年度静岡県都市景観賞 審査委員名簿 | 賞 | ||
1983-08 | 商業施設 9月号 | 商業施設技術団体連合会 | 実務研修会より 文化的な街づくりについて |
芦原義信 | ||
1983-08 | 家庭画報 | 世界文化社 | 郊外美術館探訪 北澤美術館 |
記事 | 北澤美術館 | |
1983-09 | 空気協和・衛生工学 | 国立歴史民族博物館 | 佐々木雄二 阿部良一 | 国立歴史民俗博物館 | ||
1983-09 | 都会のアングル | TBSブリタニカ | 人間的な視線 葦原義信『街並みの美学』 |
粕谷一希 | 著書「街並みの美学」 | |
1983-09 | LOGIN | アスキー | 歴史をシュミレートする | 記事 | ||
1983-09 | 建設通信 | 土木から建築へ | 広告記事 | 芦原義信(建築家) | ||
1983-09 | 週刊朝日 | 朝日新聞社 | 週刊図書館 風土や歴史に根ざした人間的都市美とは |
記事 | 著書「続・街並みの美学」 | |
1983-09 | DKM マネージメントリポート | 第一勧銀経営センター | 新刊立読みコーナー 芦原義信著「続・街並の美学」 |
記事 | 著書「続・街並みの美学」 | |
1983-09 | 文化行政フォーラム あおもり'83 | 青森県 | 基調講演 文化的街づくりの手法 |
講師:芦原義信(建築家・武蔵野美術大学教授) | ||
1983-10 | 創立十五周年記念誌 | 東京銀座ロータリークラブ | 藤野ひろ子さえんとデュエットで歌う芦原義信君 | 写真 | ||
1983-10 | 歴博 | 国立歴史民族博物館 | 施設紹介 「歴博」と佐倉城 | 阿部義平(考古研究部) | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-10 | 日刊建設通信 | 日刊建設通信社 | 第24回建設業協会賞_国立歴史民族博物館 | 長谷川堯 内井昭蔵 越山欽平 |
この博物館は由緒ある佐倉城肚公園の一隅にあり、遺構保存と公園との環境保持に配慮して計画されている。敷地の南北軸に四五度の角度を持つ軸線上に主玄関ホールと収蔵庫を配し、軸線をはさんで主・副展示室と管理・研究室がある。 | 国立歴史民俗博物館 |
1983-10 | こすもす | 東急不動産 こすもす編集室 | 国立歴史民族博物館 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1983-10 | 日本経済新聞 | 布佐平和台財団住宅記念シンポジウム 基調講演「町並みの美学」 | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) | 著書「街並みの美学」 | ||
1983-10 | 丹青 | 丹青社 | 街が変わってきた | 対談 芦原義信(建築家・商業施設技術団体連合会会長) 服部晃(丹青社常務取締役) |
著書「街並みの美学」 | |
1983-10 | じゅつ | オークラヤ住宅 | 私の好きな町並み | 芦原義信 甘糟幸子 松本和子 高村規 |
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1983-10 | 装飾デザイン 第7号 | 学習研究社 | 私のフィンランド 自然を享受する心 |
芦原義信 | ||
1983-10 | 週間朝日 | 朝日新聞社 | うちのよめ讃 | |||
1983-10 | 日経アーキテクチャー | 日経マグロウヒル社 | 図書室 続・街並の美学 |
記事 | 著書「続・街並みの美学」 | |
1983-11 | 日刊建設工業新聞 | 日刊建設工業新聞社 | 世界に一層飛躍を | 芦原義信(芦原建築設計所所長) | エピソードの一つとして、あのころ清水建設の小屋を借りて設計していたのですが、図面を渡す最後の夜、自宅に帰りましたが「もし、火事になったら、どうしよう」と気になりまして、タクシーでまた現場まで取りに行ったというようなことがありました。 | 中央公論ビル 清水建設 |
1983-11 | 日刊建設通信 | RIA創立30周年によせて | 芦原義信(東京大学名誉教授) | 山口文象 RIA |
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1983-12 | INA REPORT No49 | 伊奈製陶 | シエナのピアッツア・デル・カンポ | 芦原義信 | 広場 | |
1983-12 | 週間新潮 | 新潮社 | レジャー 湖 |
芦原義信(建築家) | ||
1983-12 | 日刊建設通信 | 日刊建設通信社 | 「夢とゆとり」を持って クリエイティブに | 対談 犬塚恵三(建築設備研究所所長) 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) |
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1984 66歳 | ||||||
1984-00 | 園芸手帖 | お客様訪問 | 記事 | 庭 | ||
1984-00 | The MIT Press | MIT | The Aesthetic Townscape | Yoshinobu Ashihara | 著書「街並みの美学」 | |
1984-00 | INTERNATIONAL REGISTER OF BIOGRAPHIES | Universal Intelligence Data Bank of America | Yoshinobu Ashihara | |||
1984-00 | MOVING | 横浜市道路局 | エッセイ 水際線の美学 | 芦原義信(建築家) | ||
1984-01 | BCS | 建設業協会 | 日本の街・世界の街 | 対談 芦原義信(建築家・武蔵野美術大学教授) 堺屋太一(作家・評論家) |
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1984-01 | 商業施設 | 商業施設技術団体連合会 | おしゃれにも街並みにもフィロソフィーを | 対談 芦原義信 フランソワーズ・モレシャン |
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1984-01 | 家とまちなみ | 住宅生産振興財団 | 基調講演 街並の美学 |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1984-01 | 美しい街づくりシンポジウム | 秋田市 | うるおいある地方都市の街ぢくりの推進 | 芦原義信(東京大学名誉教授 武蔵野美術大学教授) | 著書「街並みの美学」 | |
1984-01 | 読売新聞 | 読売新聞社 | 造形の詩人 ジャコモ・マンズー さりげない表情が魅力 |
芦原義信(建築家) | ||
1984-01 | 建築士 Vol33 | 建築士会 | 座談会 日本で見た日本の建築界 |
芦原義信 A.A.スルタン アリン・ウィンダーマン カルステン・スワー シリチャイ・ヨコタ 司会 鈴木博之 |
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1984-01 | 新建築 | 新建築社 | 新建築住宅設計競技1983入選発表 課題 歴史性と地域性を持つ住居 審査講評 |
審査員 芦原義信 大高正人 チャールズ・コアレ マイケル・グレイブス 下河辺淳 |
コンペ | |
1984-02 | INA REPORT No50 | 伊奈製陶 | ヴェネツィアのサン・マルコ広場 | 芦原義信 | 広場 | |
1984-02 | 建築画報 | 建築画報社 | 国立歴史民族博物館 城址との調和と一体性に”妙” |
佐々木雄二(芦原建築研究所) | 国立歴史民俗噂物館は、印旛沼をのぞむ下総台地上の佐倉城祉公園の一角に位置している。したがって、歴博の施設整備の基本方針には、この用地の歴史的環境および自然的環境の保持についで配慮し、かつ隣接する佐倉城坑公園との調和と一体性を保持することに努めるといったことが定められている。 | 国立歴史民俗博物館 |
1984-02 | GA | 綜建築研究所 | 公開空地 高層ビルの広場設計に学ぶ |
糸宗研 談 澤田隆夫 |
ビルを敷地の片側に寄せたのは、国会の方から下りて来る広い道が、ここで急に二狭くなっているので、広い空聞が狭く感じにしたいと思ったからです。 これは「総合設計制度」適用第一号です。ちょうど、これを設計中に、制度が検討されており、いわば試験台になったような意味がありました。 |
第一勧業銀行本店 |
1984-02 | 歴博 | 国立歴史民俗博物館 | 「歴博」の設計者として | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-02 | 商業施設 | 商業施設技術団体連合会 | 盛況の賀詞交歓会 | 記事 | ||
1984-06 | うるおいのあるまちづくり | 大成出版社 | 座談会 うるおいのあるまちづくりとは |
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1984-03 | Technology and You 丁友 |
東京大学工学部丁友会 | 東大の塀害 | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長 武蔵野美術大学教授) | ||
1984-03 | 土地住宅問題 | 住宅産業開発協会 | 美しいまちづくりのために | 対談 芦原義信(武蔵野美術大学教授) 木本教子(評論家) |
著書「街並みの美学」 | |
1984-03 | 公共建築 | 特別講演 都市空間と環境のあるべき姿 |
芦原義信 | |||
1984-04 | タイル情報 | 関東タイル振興会・全国タイル工業協会 | 国立歴史民族博物館 | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-04 | コミュニティー・マート | 都市商業環境計画センター | コミュニティー 志向の街づくり | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1984-04 | 月刊 健康 | 健康をめざして躍進! | 芦原義信(建築家) | サウナ | ||
1984-04 | 建設通信 | あとひとつ、いい建物をつくりたい・・ | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | ||
1984-05 | 白い鋼 日本ステンレス50年史 |
日本ステンレス | 記事 | 中央公論ビル | ||
1984-06 | INA REPORT No52 | 伊奈製陶 | カンピドリオの広場 | 芦原義信 | 広場 | |
1984-06 | 日本経済新聞 | 日本経済新聞社 | 街 こんな住まいがいいな | 対談 芦原義信(建築家) 菅野保二郎(進和不動産社長) |
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1984-06 | 東京新聞 | 東京新聞社 | 生き残るための工夫 | 芦原義信(建築家 五十八年度芸術院賞受賞) | ||
1984-06 | 川原竜三郎彫刻展カタログ | 日動画廊 | 個展によせて | 芦原義信(建築家) | ||
1984-07 | 芸術新潮 | 新潮社 | 日本芸術大賞 選考のあらまし |
大岡信 | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-07 | 文化庁月報 | ぎょうせい | 随想 国立歴史民俗博物館の設計をふりかえって |
芦原義信(建築家・武蔵野美術大学教授) | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-07 | タイル情報 | 関東タイル振興会 | 生者必滅の教えとタイル | 芦原義信 | ||
1984-08 | INA REPORT No53 | 伊奈製陶 | パリのヴァンドーム広場 | 芦原義信 | 広場 | |
1984-08 | 心たくみの哩漂 小林文次博士追悼文集 |
文次さんのこと | 菅原義信 | |||
1984-08 | サンデー毎日 | 毎日新聞社 | 書斎について | 粕谷一希 | 書斎 | |
1984-09 | 新建築 | 新建築社 | 都市景観懇談会発足 | 記事 | 建設省は、良好な都市景観の形成をめざして、都市行政側からも総合的に取り組む方針を決め<都市景観懇談会>を発足させた。懇談会は『街並みの美学』の著者であり都市環境については造詣の深い芦原義信氏を座長に・・・ | |
1984-09 | 文化行政フォーラム あおもり'83 | 青森県 | 基調講演 文化的街づくりの手法 |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1984-09 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 日本建築学会創立100周年記念晩餐会 挨拶 |
芦原義信(会長) | 日本建築学会 | |
1984-10 | INA REPORT No54 | 伊奈製陶 | パレイ パーク | 芦原義信 | 広場 | |
1984-10 | 建築画報 | 建築画報社 | 特集 戸田建設 国立歴史民族博物館 |
記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-10 | 繪 | 日動画廊 | 文化の殿堂 国立歴史民族博物館 |
佳 | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-10 | 別冊新建築「日本現代建築家シリーズ9」 村野藤吾 |
新建築社 | 足し算の建築家 | 芦原義信 | ||
1984-10 | タイルエッセイ | 関東タイル振興会 | 生者必滅の教えとタイル | 芦原義信 | ||
1984-10 | 建築画報 | 建築画報社 | 金沢市文化ホール | 記事 | 金沢市文化ホール | |
1984-10 | 入門 街並の美学 北九州レディースフォーラム'84報告書 |
北九州レディースフォーラム実行委員会事務局 | 基調講演 入門 街並の美学 |
講演記録 | ||
1984-10 | 文芸春秋 | 文芸春秋社 | 鼎談書評 続・街並の美学 |
記事 | ||
1984-11 | 建設月報 | 建設広報協議会 | 座談会 美しいまちづくりを目指して |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) 木村尚三郎(東京大学教授) フランソワーズ・モレシャン(ライフ・コーディネータ) 水野清(建設大臣) |
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1984-11 | 日本の現代建築 1958〜1983 | 講談社 | 芦原義信 ソニービル | ソニービル | ||
1984-11 | 世界建築設計図集10 芦原義信 国立歴史民俗博物館 |
同朋社出版 | 歴史民俗博物館の構想とデザイン | 佐々木雄二 | 国立歴史民俗博物館 | |
1984-11 | 都市の復権と都市美の再発見 | 法政大学出版局 | イタリアと日本における都市空間形成の原理と違いについて | 芦原義信(建築家 日本建築学会会長 武蔵野美術大学教授) | ||
1984-12 | 日経アーキテクチャー | 日経マグロウヒル社 | 建築学会新会長に芦原義信氏 小堀鐸二氏の後任 |
記事 | 建築学会 | |
1985 67歳 | ||||||
1985-00 | パンフレット National Museum of Japanese History |
National Museum of Japanese History | 国立歴史民俗博物館 | |||
1985-00 | パンフレット 科学大辞典 |
丸善 | 推薦のことば | 芦原義信(建築家) | ||
1985 No2 | 東京クリエーション No2 | 東京ファッション協会 | 西洋文化を下敷きにして、新しい日本文化の創造を! | 芦原義信(建築家 日本建築学会会長) | 世界の東京ファッションを考える時、東京の街づくりは、大切なファクターのひとつとして浮かび上がってきます。日本は、世界有数の経済大国に成長したにもかかわらず、都市環境に関しては、いまだの観ありといったところ。文化を生み、育てていく街づくりをどう考えていけばよいのか。 | |
1985-01 | 日本の知性と語る 菅野保二郎対談集 |
進和不動産 | 「水戸黄門」はソトよりウチを重視する日本人の美意識のシンボル | 菅野保二郎 芦原義信 |
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1985-01 | 中央公論 | 中央公論社 | 中央公論100年によせて 中央公論ビルの思い出 |
芦原義信(建築家) | 中央公論ビル | |
1985-01 | 中央公論 | 中央公論社 | 乱数系が生み出す美の構造 | 吉成真由美 | フラクタル | |
1985-01 | 科学朝日 | 朝日新聞社 | ほんものニセモノ 密室を広げる”魔術” |
記事 | ソニービル | |
1985-01 | 週刊建設ニュース | 建設ジャーナル | 新春メッセージ | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-01 | 開発 | 開発問題研究所 | 都市開発に景観形成の視点を | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) 沢本守幸(OECD都市グループ副議長) |
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1985-01 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 巻頭言 謹賀新年 会長就任の挨拶 |
芦原義信 | 日本建築学会 | |
1985-02 | 開発 | 開発問題研究所 | 都市開発に景観形成の視点を | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) 沢本守幸(OECD都市グループ副議長) |
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1985-02 | JA | 新建築社 | The Aesthetic Townscape | Yoshinobu Ashihara | 著書「街並みの美学」 | |
1985-02 | 週間 建設ニュース | 建設ジャーナル | 現代建築再訪 第一勧業銀行本店 |
野中道雄(建築評論家) | 都心の景観は、日増しに変貌を強めています。所によりますと、わずか一年間余りで、見違えるような景観となっています。日比谷公園の周辺もそうした一つです。実際は五年か六年の間なのですが、余り変わり方が早いので、まるで一年も経たないうちに、と思えるほどです。 | 第一勧業銀行本店 |
1985-02 | 徳山市都市景観構想報告書 | 徳山市都市景観構想委員会 | 個性ある都市景観形成に向けて | 芦原義信(徳山市都市景観構想委員会 特別顧問) | ||
1985-03 | 新建筑 | 【中国】 | 街道的美学 | |||
1985-03 | パリ週間 記録資料 | 東京都/東京・パリ友好都市提携記念事業実行委員会 | 第二部 21世紀のまちづくり | コーディネータ:芦原義信 | ||
1985-03 | 日経アーキテクチャー | 日経マグロウヒル社 | 自治体のやる気次第 地元の「人づくり」がカギに |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1985-03 | 建築東京 | 東京建築士会 | 巻頭言 文化的都市環境づくり |
芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-03 | 建築設計資料 8複合商業施設 |
町並みを創る小規模店舗 | 京大和林泉 | |||
1985-04 | Security | OPINION 都市と安全 |
芦原義信(日本建築学会会長) | |||
1985-04 | 土木学会誌 | 土木学会 | 会長対談 土木と建築--明日への課題 |
芦原義信(日本建築学会) 岡部保(土木学会) |
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1985-04 | ファイナンス | 大蔵省広報 | 『塀害!!』 | 芦原義信 | ||
1985-05 | 横田郁追悼集 | 「横田郁追悼集」編集委員会 | 厳しい温容 | 芦原義信(建築家) | 横田郁さんのようなわが国経済界のトップの方と十数年にわたるご交誼をえたことは私のような一介の建築家にとってはこの上もない幸いであった。その横田さんがおなくなりになってみると、そのご恩の偉大さが今更ながらひしひしと心に迫ってくるし、同時にその温容や、困ったような顔、厳しい顔、うれしそうな顔などが次々と私の脳裏をかすめてゆく。 | 第一勧業銀行本店 |
1985-05 | 日本芸術院要覧 | 日本芸術院 | 日本芸術院賞 建築「国立歴史民俗博物館」の建築設計に対して |
国立歴史民俗博物館 | ||
1985-05 | 建築設計・施工のための 昇降機計画指針 |
日本エレベータ協会 | 推薦のことば | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-05 | 21世紀の人と街 商業空間シンポジウム’85金沢 |
商業空間シンポジウム’85金沢編集委員会 | 21世紀に向かっての文化都市 | 芦原義信 | ||
1985-05 | 建築家F氏の肖像 | F先生還暦記念出版会 | 新しい生き方を託すべきこれから・・・ | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-05 | ADDRESSER | 松下電器産業 | 見る都市論 光動画9画面マルチシステム | 記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1985-06 | CITY & LIFE | 第一住宅建設協会 | まちづくり思い出ばなし 理想の都市計画 |
高山英華(東大名誉教授) | 駒沢公園といえば、東京オリンピックの時に東洋の魔女・日本女子バレーボールチームが金メダルをとった場所として有名ですが、今回はこの公園にまつわるお話をいたしましょう。 | 駒沢公園体育館・管制塔 |
1985-06 | JSSC | 日本鋼構造協会 | ソニービル | ソニービル | ||
1985-06 | ヒートポンプによる冷暖房No23 | 電力空調研究会 | ソニービルの空調設備更新 | ソニービル | ||
1985-06 | GA | 綜建築研究所 | 建築と美術 | (談)芦原義信(芦原建築設計研究所) | 第一勧業銀行本店 | |
1985-06 | 石膏ボードの歩み | 石膏ボード工業会 | 創立35周年を祝う | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-06 | 建築知識 | 建築知識 | 著者が語る 隠れた秩序 |
芦原義信(著者) | 著書「隠れた秩序」 | |
1985-06 | [科学万博つくば'85]建築の記録 | 新建築社 | [科学万博つくば'85]建築の記録の刊行にあたって | 芦原義信(「科学万博--つくば'85」建築の記録刊行委員会 委員長) | ||
1985-06 | 公共建築 | 金沢市文化ホール 配置計画 |
二之宮政雄(芦原建築設計研究所) | 金沢市文化ホール | ||
1985-07 | 文芸春秋 | 文芸春秋社 | 21世紀に向かって 緑と未来都市を考える |
木部佳昭(建設大臣) 芦原義信(日本建築学会会長) |
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1985-08 | ASPLUND Lectures and Briefings from the International Symposium on the Architecture of ERIC GUNNAR ASPLUND |
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1985-08 | 新建築 住宅特集 |
新建築社 | 芦原山荘 | 芦原太郎 | ||
1985-09 | ITALIA GIAPPONE | SOCIETA'E COSTUME Yoshinobu Ashihara |
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1985-10 | 提案 街並みの美学 北九州レディースフォーラム’85報告書 |
北九州レディースフォーラム実行委員会 | 北九州市へのメッセージ | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-10 | 東京クリエーション | 西洋文化を下敷きにして新しい日本文化の創造を | インタヴュー記事 芦原義信(建築家・日本建築学会会長) |
世界の東京ファッションを考える時、東京の街づくりは、大切なファクターのひとつとして浮かび上がってきます。日本は、世界有数の経済大国に成長したにもかかわらず、都市環境に関しては、いまだの観ありといったところ。文化を生み、育てていく街づくりをどう考えていけばよいのか。海外でいっそう評価されている、『街並みの美学』の著者、建築家の芦原義信さんにおききしました。 | ||
1985-10 | 昭和を生き抜いた学者 | 横浜市建築局学校建築課/横浜市教育委員会施設課 | 街づくりは学校建築から | 芦原義信(建築家) | 横浜市老松中学校 復興小学校 |
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1985-10 | Security | セキュリティーワールド | 都市と安全 | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1985-10 | INAX REPORT | INAX | 公園・ストリート・広場・モール | 神代雄一郎 | 戦後のエクステリア・デザインにみられる特徴は、庭園という狭い概念を打ちやぶり、エンバイラメント(環境〉という言葉に支えられながら、その対象を都市的規模の環境づくりに拡大し、その技法が多種多様化したところにある。 | 第一勧業銀行本店 |
1985-11 | KEW-WORLD | 太田興業 | 座談会 現代建築と金物 第二の住宅革命がやってくる |
芦原義信(建築家) 太田博(太田興業社長) 司会:安藤陽子 |
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1985-11 | HIROBA | 大阪府建築士会 | 建築家の世界 | インタヴュー 芦原義信 インタヴュア:狩野忠正 |
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1985-11 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | インタビュー 中国建築学会展望 |
芦原義信(本会会長、建築家) 梅村魁(芝浦工業大学教授) 吉武泰水(日中建築技術交流会会長) 聞き手:藤森照信 |
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1985-11 | 横浜の公共建築写真集 | 街づくりと公共建築 | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) | |||
1985-12 | 石 不変の素材を視る |
柘植石材 | 石の秘めた強さが文化を誘発する | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長 元・日本建築学会会長) インタビュアー 小林克弘(建築家) |
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1986 68歳 | ||||||
1986-00 | ぎおん | 祇園甲部組合 | 祇園の魅力 | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-01 | 建設月報 | 建設広報協議会 | 座談会 都市開発と都市景観 |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) 石井幹子(石井幹子デザイン事務所所長) 増田通二(パルコ取締役社長) 司会:依田和夫(大臣官房技術審議官) |
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1986-01 | 商業施設 | 商業施設技術団体連合会 | 大人の場、若者の場、女の場、男の場 | 対談 芦原義信 宍戸游子 |
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1986-01 | 人と国土 | 国土計画協会 | 国土・緑・文化を語る | 座談会 芦原義信 ハンス・プリングスハイム 細川護熙 司会:半田真理子 |
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1986-01 | 週間 建設ニュース | 建設ジャーナル | 新春メッセージ | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-01 | 建築士 | 日本建築士会連合会 | 文化の年への期待 | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-01 | 東京人 創刊号 |
東京都文化振興会 | 座談会 住みにくいから面白い東京 |
芦原義信 高階秀爾 芳賀徹 粕谷一希(司会) |
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1986-01 | 商業施設 | 商業施設技術団体連合会 | ライフスタイルがものを選ぶ | 対談 芦原義信 小林千登勢 |
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1986-02 | 建設通信 | 日本建築学界初の女性理事 | 記事 小川信子 |
芦原政権に女性大臣を出したい。ついては、引き受けてほしい」。芦原会長からの直接の電話要請である。その結果、初の女性理事が誕生した。創立百周年事業は盛り沢山で、"初モノづくし"だが、記者会見の席上、会長はこのことも、その一つにつけ加えた。 | ||
1986-02 | 建築画報 特集・三菱地所 |
”文化”と”活力”のある都市づくりに期待 | 芦原義信(日本建築学会会長) | |||
1986-02 | 地域づくり | 地域活性化センター | 国立歴史民俗博物館誘致後のまちづくり | 中嶋正夫(佐倉市総務部企画課長) | 国立歴史民俗博物館 | |
1986-03 | ストーンテリア Vol5 | エス | 石の秘めた強さが文化を誘発する | 芦原義信 | ||
1986-03 | 通産 ジャーナル | 特集 日本の住宅産業 日本人は「大きなベット」の上で生活している |
芦原義信(建築家) | |||
1986-04 | 近代建築 | 近代建築社 | 日本建築学会創立100周年を迎えて | 芦原義信(社団法人 日本建築学会 会長) | ||
1986-04 | 環境造形への対話 | 日貿出版社 | 環境造形への対話 I | 著者:蓮田修吾 対談・芦原義信 |
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1986-04 | 新建筑 | (中国) | 続 街道的美学 | |||
1986-05 | 時代の建築家 アイカ現代建築セミナー講演記録集 |
アイカ工業 | 美しい松並のために 建築家はなにをすべきか |
芦原義信 | ||
1986-06 | 建築文化 | 彰国社 | 悼辞 | 芦原義信(建築家・日本建築学会会長) | ||
1986-06 | プレシデント | 人間邂逅 シャンソンとゴルフ |
古屋哲男(富国生命保険社長) 芦原義信(日本建築学会会長) |
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1986-06 | ディティール | 特集 キャノピー 曲面ガラスで覆う |
記事 | |||
1986-06 | 都市計画 | 日本都市計画学会 | 四学会長座談会「都市の諸問題と対策」 | 座談会 渡部与四郎 広瀬盛行 芦原義信 久保慶三郎 福富久夫 |
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1986-06 | エコノミスト | 毎日新聞社 | この人と一時間 建築を文化と認める風土に |
インタビュー記事 芦原義信(日本建築学会会長) |
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1986-06 | 新建築 | 新建築社 | 日本建築学会100周年記念事業 皇太子殿下をお迎えして華々しく開幕 |
記事 | 日本建築学会 | |
1986-07 | 土地住宅問題 | 住宅産業開発協会 | 人物登場 住宅を支える人たち |
インタビュー:藤田房男 | ||
1986-07 | マネージメントニュース | 日興證券 | 開かれた建築学会をめざして | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-07 | 国立歴史民族博物館 要覧’86 | 国立歴史民族博物館 | ||||
1986-07 | CITY & LIFE | 第一住宅建設協会 | 欧米と日本・住宅地の街並みと道のデザイン | 芦原義信(日本建築学会会長・武蔵野美術大学教授) 日笠端(東京大学名誉教授・東京理科大学教授) 陣内秀信(法政大学助教授) |
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1986-07 | 正論 | サンケイ新聞社 | 対談 いまこそ都市の改造を |
芦原義信(日本建築学会会長・建築家) 木村尚三郎(東大教授) |
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1986-07 | シンポジウム タウト再考 |
武蔵野美術大学 | シンポジウム タウト再考 |
芦原義信 長谷川堯 保坂陽一郎 前田常作 三宅理一 三輪正弘 高見堅志郎 |
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1986-07 | 東京人 | 東京都文化振興会 | パリの呪縛を逃れて 芦原義信著『隠れた秩序』を読む |
樋口忠彦 | 著書「隠れた秩序」 | |
1986-07 | 第1回建築と彫刻との出会い | 彫刻の森美術館 | シンポジウム | 出席者 芦原義信 伊東傀 菊竹清訓 細田宗英 向井良吉 日野耕之祐(コーディネーター) |
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1986-07 | ハウジング JHL通信 | 日本ハウジングローン | 明日の街と住まいづくり | 座談会 浜美枝 芦原義信 河原昇 |
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1986-08 | 昭和60年度 住文化調査研究報告書 総括編 |
住宅産業情報サービス | ごあいさつ | 芦原義信(住文化研究協議会会長) | この度,住文化研究協議会が発足して以来の懸案であった調査研究がここに実を結んで報告書としてとりまとめることができた。この間,運営委員会のテーマ別研究部会は,高齢化社会研究部会,都市住宅研究部会,住生活研究部会,住まいと先端技術研究部会,住文化比較研究部会の五つの部会に別れ,夫々実りある研究が進められてきたのである。 | |
1986-08 | 世界のフィルム・ライブラリー1986年 | 川喜多記念映画文化財団 | 東京国立近あみ代美術館フィルムセンター相模原分館の着工から竣工まで | 佐々木雄二(芦原設計研究所) | ||
1986-08 | 正論 | サンケイ新聞社 | Photo essay 芦原義信 | 記事 | ||
1986-08 | 日本の美学 | 日本の美学編集委員会 | 書評 芦原義信著 隠れた秩序--二十一世紀の都市に向かって |
評者 井上充夫 | 著書「隠れた秩序」 | |
1986-08 | 中央公論 | 中央公論社 | 陰樹と陽樹 | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-09 | 熊本まちなみフェスティバル | 熊本まちなみフェスティバル報告書編集委員 | シンポジウム 基調講演 「世界景観的都市論」 内なる目、外なる目 |
芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-09 | 公共建築 Vol 28 | 営繕協会 | 事務局からみた第二国立劇場設計競技 | 川元茂 | コンペ | |
1986-09 | 年金と住宅 | 年金住宅福祉協会 | 窓と景観 | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-09 | 老人の福祉 | 老人福祉開発センター | 清心偶感 自然と人生 |
芦原義信(建築家・日本建築学会会長) | ||
1986-09 | PUBLIC SPACE | 日本交通文化協会 | 日本の都市再開発を考える | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-09 | 日本建築学会創立100周年記念事業報告書・1 | 建築雑誌1986年9月号抜刷 | ||||
1986-09 | 横浜市民文化会館 関内ホール パンフレット |
横浜市 | 横浜市民文化会館<関内ホール> | |||
1986-10 | ストーンテリア | エス出版部 | 国立歴史民族博物館 | 佐々木雄二(芦原設計研究所) | 歴博の建物で、石を多く用いているのは、エントランスホールの周辺である。入館者は、どこから来ても、まずアプローチデッキによってエントランスホール入口の庇の下に導かれる。この庇は曲面ガラスを用いた22.5m×9mの大きさであるが、2本の直径が1.8mの太い花闘岩の柱でささえられている。ここにはフィンランド産バルチックブラウンの本磨きを用いている。 | 国立歴史民俗博物館 |
1986-10 | 東北ジャーナル | 建設新聞社 | 地方独自の特性を生かし新たな都市づくりの推進 | 芦原義信(日本建築学会会長 芦原建築設計研究所所長) | ||
1986-10 | 風声 一つの栞 | INAX | もう一つの戦後史 ボドコに芽吹いた潜勢力 |
林雅子 山田初枝 中原暢子 |
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1986-10 | 月間EPS | 経済同友会 経済企画庁 |
日本を「外から見る目」 | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-10 | センターリポート | 北海道建築指導センター | 創立100周年記念対談 ”風土とまち” |
対談 芦原義信 倉本聡 |
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1986-10 | 河川 | 日本河川協会 | 河川に関する懇談会 | 芦原義信 木村治美 田中洋之助 川本正知 |
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1986-10 | 創立40周年記念 建築研究所この10年のあゆみ |
建設省建築研究所 | 創立40周年を祝す | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-10 | 会社四季報 月間ヒット銘柄100 |
インタビュー 建築文化の時代が始まった |
芦原義信(日本建築学会会長・芦原建築設計研究所所長) | |||
1986-11 | 新建築 | 新建築社 | 建築論壇 全体からの発想。部分からの発想 |
芦原義信(日本建築学会会長・建築家) | 建築学会 | |
1986-11 | 新建築 | 新建築社 | 横浜市民文化会館・関内ホール | 記事 石岡俊二 |
「関内ホール」の敷地は、横浜市の馬車道と関内大通りにまたがる旧市民ホール(横浜宝塚劇場)と旧中区役所の跡地である。 現在、横浜市は「よこはま21世紀プラン」に基づき、21世紀を展望した街づくりを進めている |
横浜市民文化会館<関内ホール> |
1986-11 | 世界都市東京を語る | ぎょうせい | 座談会 魅力ある世界都市東京をどうつくるか |
座談会 阿木耀子 芦原義信 渡辺淳一 粕谷一希(司会) 鈴木俊一 |
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1986-11 | 現代 家相学 | 彰国社 | 日本建築学会創立100周年に際して | 芦原義信(日本建築学会会長) | ||
1986-11 | 日経アーキテクチャー | 日経マグロウヒル社 | 関内ホール周辺(横浜) | 記事 | そうした工夫の中でも特に注目されるのは、公共施設であるホールの壁面沿いに、6つの店舗を並べた点だ。公共施設の内部に売店や飲食店が入るケースはままある。だが、公共施設の機能とは無縁に、街に向けて店舗が並ぶ例はほとんど聞かない。 | 横浜市民文化会館<関内ホール> |
1986-12 | The Story of Sony Building 1966-1986 | ソニー企画(株)、ソニービル営業部 | ●ソニービル誕生20周年を記念して発行された冊子 | ソニービル | ||
1986-12 | 田園都市 | 日本地域社会研究所 | 座談会「都市を深める思想と実践」 | 粕谷一希 磯村英一 青木外志夫 芦原義信 |
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1986-12 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 日本建築学会創立100周年記念大会(北海道) | 柴田拓二 | ||
1986-12 | 新建築 | 新建築社 | 月評 | 黒川紀章 | 今月の論壇では芦原義信の語りが面白かった。建築家芦原義信という人は、陰の相の多い建築界の中で、陽の相を持った貴重な人だと思う。シティーホールの丹下健三案については、暗に全体から発想であると批判しつつシンボル性が評価され群を抜いていると述べている。 | |
1987 69歳 | ||||||
1987 No68 | インペリアル | さろん ホテル空間の美学 |
ゲスト:芦原義信(日本建築学会前会長) ホスト:犬丸一郎(帝国ホテル取締役社長) |
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1987-00 | Cahiers du Japan | L'ordre cach'e de la ville japonaise | Ashihara Yoshinobu | |||
1987-00 | Japan Echo | Chaos and Order in the Japanese City | Ashihara Yoshinobu | |||
1987-00 | U都市レビュー | 21世紀の都市景観を考える | 芦原義信 | |||
1987-00 | Contemporary ARCHITECTS | ST.JAMES PRESS | ASHIHARA Yoshinobu | 記事 | ||
1987-00 | 第32回 建築コンクール作品集 | 神奈川県下優良建築物表彰実行委員会 | 一般建築部門最優秀賞 |
山田弘康(審査委員) | 真夏の強い日差しの中、街並みを映す大きなミラーガラスと白いタイルの壁をもつ建物が建ち、街路樹が影を落とすレンガの歩道を若い女性が足早にすぎてゆく。小さなスケールをもつ街並みの中のマッシブな形態は軽快な質感をもつ材料で仕上げられ、街のイメージにふさわしい情感をかもし出している。 | 横浜市民文化会館<関内ホール> |
1987-01 | 河川 | 日本河川協会 | 河川ビィジョン懇談会 | 座長:芦原義信(日本建築学会会長) 委員: |
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1987-01 | 商業施設 | 商業施設技術団体連合会 | 1987新春対談 商業中心から文化中心へ |
芦原義信 如月小春 |
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1987-01 | 人と国土 | 講演記録 農村アメニティー・コンクールの審査を終えて |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | |||
1987-01 | 逝きし友へ 平松好敬君の想いでと写真集 |
「逝きし友へ」編集委員会 | 平松さんの霊に捧ぐ | 芦原義信 | ||
1987-01 | (新建筑)中国語 | 続街道的美学 (中国語) | ||||
1987-02 | (新建筑)中国語 | 続街道的美学-4(中国語) | ||||
1987-02 | INAX REPORT | ARKで見た世界のサニタリーウェアー | 芦原義信(建築家) | |||
1987-02 | サンケイ新聞 | サンケイ新聞社 | 21世紀の都市景観を考える 都市と住宅の調和を |
下河辺淳(総合研究開発機構理事長) 芦原義信(建築家) 五代利矢子(評論家) |
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1987-03 | Will | 特別企画 私のもてなし術 大切にしたい「ふれあい」の場 |
芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授 工学博士) インタヴュアー 阿川佐和子 |
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1987-03 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 巻頭インタヴュー BE CREATIVE,BE ORIGINAL! |
芦原義信 聞き手:藤森照信、松葉一清 |
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1987-03 | 鉄道建築ニュース | 鉄道建築協会 | 特集 鉄道建築に期待する 西欧と日本の文化性比較 |
芦原義信(武蔵野美術大学教授 芦原建築設計研究所所長) | ||
1987-03 | こんな快適なむらがありました | 監修 国土庁 地方振興局農村整備課 | 審査委員の感想 農村アメニティー 現地を巡って |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1987-03 | 文芸春秋 | 文芸春秋社 | ただいま読書中 建築家編 |
芦原義信 黒川紀章 篠原一男 高松伸 林昌二 原弘 宮脇壇 | フラクタル | |
1987-03 | PUBLIC SPACE | 日本交通文化協会 | 特別座談会 WATER FRONT |
芦原義信(建築家・芦原建築設計研究所) 落合庸人(都市住宅整備公団) 林洋一郎(三井不動産) |
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1987-03-9 | 日経アーキテクチュア | 日経BP社 | インタビュー 建築の文化性訴える千載一隅のチャンス 建築学会100周年記念事業の裏話 |
芦原義信(日本建築学会前会長) | ||
1987-03-9 | 日経アーキテクチュア | 日経BP社 | ポートアイランドに建つ美しい洋菓子工場 | 設計:芦原建築設計研究所 | ||
1987-04 | GALLERY・MA 1985-86 |
GALLERY・MAに期待する | 芦原義信(元・日本建築学会会長) | |||
1987-04 | 月刊 NIRA | NIRA 総合研究開発機構 | 昭和57年 第4回全国文化行政シンポジューム 都市の風景-街並みについて |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1987-04 | 建設月報 | 建設広報協議会 | 提言 河と街並み |
芦原義信(河川ビジョン懇談会座長) | ||
1987-04 | 住宅と木材 | 日本住宅・木材技術センター | 芦原義信 | 芦原義信(建築家 日本建築学会前会長) | ||
1987-04 | 北海道工業大学図書館 | 手稲山をのぞむ新図書館 | 芦原義信(建築家) | |||
1987-04 | 明日の国土政策を考える | ぎょうせい | 国土政策懇親会名簿 | |||
1987-04 | インペリアル | 帝国ホテル | ホテル空間の美学 | 芦原義信(日本建築学会前会長) | ||
1987-04 | コングレス&コンベンション | 国際会議事務局 | 未来都市と交流 | 芦原義信(建築家) | ||
1987-05 | 経済同友 | 経済同友会 | 「美しい都市づくり賞」の選考を終えて | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長 武蔵野美術大学教授) | 賞 | |
1987-05 | 道路 | 日本道路協会 | 「大都市における道路の課題」100人に聞きました。 | アンケート回答者:芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) | ||
1987-05 | 図書 私の三冊 |
岩波書店 | 芦原義信(建築家/建築計画) | |||
1987-06 | THE GOLD | ジェーシービー | 芦原義信×如月小春 都市と建築の美学 |
芦原義信 如月小春 |
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1987-06 | ブルーフ | リクルート | 転職を考えている人へ 最低10年くらいは技術と知識の修得に全力を |
芦原義信 | ||
1987-06 | 建築画報 | 絵のある病院 | 栗木森(芦原建築設計研究所) | 横浜市立市民病院 | ||
1987-06 | 日本都市風景 | 筑摩書房 | 解説 | 著解説・芦原義信 | ||
1987-07 | ESPLANADE | INAX | 対談 都市の文化 |
芦原義信(建築家・武蔵野美術大学教授) 高橋志保彦(建築家) |
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1987-07 | 週間読売 | 読売新聞社 | プロの住まい術 三十三平方メートル庭に雑木林、緑陰を楽しむ |
芦原義信(建築家) | ||
1987-07 | 国立歴史民俗博物館要覧 | 国立歴史民俗博物館 | 国立歴史民俗博物館 | |||
1987-07 | 病院設備 | 日本病院設備協会 | 事例-4 横浜市立市民病院 再整備工事の経過 |
栗木森(芦原建築設計研究所) | 横浜市立市民病院 | |
1987-07 | 音楽舞踊新聞 | 音楽新聞社 | わが国最高水準のコンサートホール”東京都芸術文化会館”いよいよ着工 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1987-08 | Bright,Color,Image 熱線反射ガラスと建築デザイン |
旭硝子 | 都市空間の演出 反射と透過 |
芦原義信 | ||
1987-08 | ja | 新建築社 | Yoshinobu Ashihara Receives FRAIA | |||
1987-08 | 建築作家の時代 | リブロポート | 駒沢オリンピック公園 芦原義信 設計 |
松山巌 | 一九四〇年(昭和十五年)の第十二回オリンビック大会は東京で開催されることが決定していた。その際に現在の駒沢公園(当時は駒沢ゴルア場)は、陸上競技場と水泳ブール、選手村の施設をもつ中心会場として計画が進められていた。 | 駒沢 |
1987-08 | 総覧 日本の建築 | 日本建築学会 | ソニービル 中央公論ビル |
入口回りにスキップフロアーを用い、空間に変化をつけた事務所ビル。設計者が留学後はじめて手がけた作品で、その意欲が強く感じられる。基準階平面は西側にコアをコンパクトに収めて長方形の執務空間を得ており、地下と屋階にはそれぞれ食堂や画廊などの特殊な機能が収められている。 | ソニービル 中央公論ビル |
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1987-09 | ARCHITECTURAL RENDERING IN JOAPN パース作品集 |
機宣に適した、有意義な企画 | 芦原義信(建築家) | |||
1987-09 | 続 あのとき あの言葉_ | ビー・オリジナル | 芦原義信 | 今から三十五年ほど前には、わが国ではテレビ放送は見られなかつたといつたら、びっくりする人が多いことであろう。私が初めてアメリカの大学に留学したのはそんなころであって、見るもの、聞くもの、すべてが驚きであった。 | ||
1987-09 | 日経アーキテクチュア | 日経BP社 | 設計レポート 東京都芸術文化会館 国内最大の「文化の殿堂」に”部分発想”でアプローチ |
記事 | 時計の針が正午を少し回った頃、各スタッフはそれまでの仕事の手をいったん休めると、フロアの一角にある小じんまりとした食堂に足を運ぶ。食べ放題のご飯と飲み放題のみそ汁を自分で盛り付け、「給食のおばさん」からおかずを受け取る。ある者はあわただしく、ある者は談笑しながらの昼のひと時…。食事を終え、食器を片付けると、カウンターの中のおばさんにひと声かけることも忘れない。「ごちそうさまあ」。 | 東京芸術劇場 |
1987-09 | 住まい面白発見 | TBSラジオ | すまい新発見 | 対談 森本毅郎(著者) 芦原義信 |
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1987-09 | まちづくりと環境芸術セミナー62 | 彫刻の森美術館 環境芸術総合研究所 |
基調講演1 | 芦原義信(建築家) | ||
1987-10 | 87芸術祭 建築学科企画展示「SECTION vol1」 | 武蔵野美術大学建築学科企画展示委員会 | 芦原義信 | 芦原義信 | ||
1987-10 | 建築保全 | 建築保全センター | 建築の寿命 | 芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) | ||
1987-10 | SECTION VOL.1 | 武蔵野美術大学建築学科企画展示委員会 | 芦原義信 | 芦原義信 | ||
1987-10 | 東京會舘いまむかし | 東京會舘 | 芦原義信の指揮による内装 | 記事 | ||
1987-10 | 建築計画・設計シリーズ22 事務所ビル |
記事 | 富士フィルム東京本社ビル | 記事 | 富士フイルム東京本社ビル | |
1987-11 | 道新フォーラム 魅力ある北のまちを |
北海道新聞社 | 基調講演 来たの文化を育てよ |
芦原義信(建築美術工芸協会会長) | ||
1987-12 | 家とまちなみ | 住宅生産新興財団 | 昭和61年度 まちづくり設計競技 審査報告 |
芦原義信(審査委員長) | ||
1987-12 | 戦後42年 東京の住まいと暮ら史 | 東京都情報連絡室情報公開部都民情報課 | 未来の住宅展望 | 芦原義信(多数) | ||
1987-12 | 都市政策 | 都市政策フォーラム | 対談 TOKYO-21世紀への岐路 新宿まで運河を掘って、ゴンドラでオペラ鑑賞。利益本位の部分発想では街づくりはできない。 |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) 柿沢弘治(都市政策フォーラム代表 衆議院議員) |
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1987-12 | 新しい農村計画 | 農村開発企画委員会 | 農業は芸術である | 芦原義信(建築家 農村アメニティー・コンクール審査会会長) | ||
1987-12 | 都市レヴュー | 都市再開発法政研究会 | 21世紀の都市景観を考える | 芦原義信 | ||
1987-12 | 織本匠 架構 | 武蔵野美術大学 | 織本匠 | 中央公論ビル・・独立して一番最初の仕事である。 この建物は、躯体の経済性を重視して設計されたので柱が割合に多く、階高は低く、梁の位置を細かくしてスラブを薄くした。1階がスキップフロアで半地下になっているが、ここは構造的には特に変っているわけではない。 日航ホテル・・当時の31mの軒高で10階半とるために、階高をセーブする様ざまな方法を検討し、2層ごとにSRCのラーメンを組む形式を採った。 駒沢体育館・管制塔・・これは私の全作品の中でも、特に印象深い作品である。4枚の変形HPシェルを使い、オーバーハングの周辺をフリーにした初めての建物だ。周辺をフリーにするという事が、気持ち悪くていやでいやでしかたがない。 |
中央公論ビル 日本航空ホテル 駒沢公園体育館・管制塔 武蔵野美術大学 アトリエ棟 ソニービル モントリオール万国博日本館 富士フィルム東京本社ビル 大阪万博オーストリア館 第一勧業銀行本店 |
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1988 70歳 日本芸術院会員 | ||||||
1988-00 | 石 不変の素材を視る | 柘植石材 | 石の秘めた強さが文化を誘発する [ストーンテリアVol5より転載] |
芦原義信(芦原建築設計研究所所長 元・日本建築学会会長) | ||
1988-01 | JAPAN LANDSCAPE | 21世紀の川の手文化 | 栄久庵憲司 芦原義信 司会 吉村元男 |
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1988-01 | KAWASHIMA REPORT |
「シリーズ’88−’90」は最先端の都市情報を吸収したもの。メーカーが一生懸命に研究を重ねたものだから、それから学ぶことは多い | 芦原義信(多数) | |||
1988-01 | 昭和62年度 第4回 熊本県土木行政懇談会会議録 |
講演 「都市と文化」 |
芦原義信(教授) | |||
1988-01 | 四谷見附橋 文明開化期の文化遺産 |
四谷見附橋のことなど | 芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) | |||
1988-01 | 中央公論 | 中央公論社 | もはや東京は我慢できない 定員過剰 東京は絶滅する |
対談 芦原義信 平井富雄 |
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1988-01 | 週刊現代 | 講談社 | 浩宮妃最後の候補は・・ | 記事 | ||
1988-02 | 自動車とその世界 | トヨタ自動車販売 | 対談 ポスト・モダン 都市とクルマ |
芦原義信(建築家) 館内端(自動車評論家) |
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1988-02 | 丘の上の双眼鏡 | 西日本新聞社 | 街並みの美学 文化賞 |
谷伍平 | 賞 | |
1988-03 | じぎょうだん JNR | 日本国有鉄道清算事業団 | 国際的見地から見た二十一世紀の都市 | 芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) | ||
1988-03 | 東陶通信 | 東陶機器 | 日本建築美術工芸協会の設立をめざして「環境芸術」推進活動の陣頭に立つ | 芦原義信(武蔵野美術大学教授) | ||
1988-03 | 豊島学 | 豊島区 | 効率主義から夢のある都市へ | 芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) | 西武池袋線の前身は武蔵野鉄道で、それを引き継いだ堤康次郎氏が西武新宿線と合わせて西武農業鉄道をつくり、やがて現在の社名になったとのことだが、農業鉄道の名が示すように、当初は農作物を運ぶのが主目的だったのだろう。そんなことから、池袋というと、なんとなくダサイという印象があるのかもしれない。 | |
1988-03 | 豊島学 | 豊島区 | 芸術文化会館 | |||
1988-03 | 特産情報 | 農村文化社 | 特産時評 農業の創造性 |
芦原義信(建築家 武蔵野美術大学教授) | ||
1988-03 | 東京港連絡橋の景観について | 東京湾連絡橋の景観検討委員会事務局 | 東京湾連絡橋の景観検討委員会 委員長:八十島義之助 委員:芦原義信 他19名 |
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1988-03 | 東京都文化懇談会(第三次)議事録 東京の文化を考える |
東京都生活文化局 | 芦原義信(座長) | 東京都文化懇談会 | ||
1988-03 | YOKOHAMA世界児童絵画展 | 横浜市建築局/教育委員会 | 座談会 明日のよこはまと子供たち |
座談会 兼高かおる(審査員) 芦原義信(審査員) CHOO SIEW KIOH(審査員) 細郷道一(横浜市長) 松山正明(ゲスト) 浅見信夫(司会) |
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1988-03 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 点心 「アメーバー都市」開発への提言 |
芦原義信 | ||
1988-03 | 第2回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
国土庁・地方振興局 | 審査委員の感想 農村でも世界を相手にした創造性の発揮を |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1988-03 | みなとみらい21 | 横浜市 | 座談会 もなとみらい21を語る |
高木文雄 芦原義信 石井幹子 |
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1988-03 | 日経産業新聞 | 開発前線 池袋西口再開発の軸に |
記事 | 東京芸術劇場 | ||
1988-04 | OfficeAge | イトーキ CI推進室 | 対談 都市環境とオフィス建築 |
芦原義信 トム・ヴェンチュレット |
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1988-04 | INAX REPORT | INAX | 次代への手紙 | 芦原義信 | ||
1988-04 | こんな快適なむらがありました(II) | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 農村でも世界を相手にした創造性の発揮を |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1988-04 | Journal of Japanese Trade & Industry | House of Stone,House of Wood | Yoshinobu Ashihara | |||
1988-05 | 公共建築 | 営繕協会 | 審査を終えて | 芦原義信(第1回公共建築賞審査委員長) | ||
1988-05 | 第1回/1988 公共建築賞受賞作品集 |
営繕協会 | 審査を終えて | 芦原義信(第1回公共建築賞審査委員長) | ||
1988-05 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 座談会 銀座再興は旦那衆の心意気で |
服部禮次郎(和光社長) 福原義春(資生堂社長) 菊地泰司(銀座くのや社長) 芦原義信(司会) |
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1988-06 | 3階建住宅を創る | 創樹社 | 夢ひろがる3階建て住宅 | 芦原義信(建築家) | ||
1988-07 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 対談 男の建築・女の建築 |
芦原義信(建築家) 長谷川逸子(建築家) |
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1988-08 | 建築東京 | 東京建築士会 | 東京芸術文化会館(仮称)建設工事設計メモ | 二之宮政雄(芦原建築設計研究所) | 東京芸術劇場 | |
1988-09 | 東京ルネッサンス企画委員会報告書 | 東京ルネッサンス企画委員会 | 芦原義信(「東京ルネッサンス」企画委員会座長) | |||
1988-09 | 東京ルネッサンス企画委員会報告書 | 東京ルネッサンス企画委員会 座長:芦原義信 他 |
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1988-09 | 新建築 | 新建築社 | いんたびょう・時の顔 芦原義信 |
聞き手:武澤秀一 | 日本建築美術工芸協会 | |
1988-10 | THE Japan FEST'88 | Japan Fest '88 Desk | Japanese Architecture Seminar by Professor Yoshinobu Ashihara | |||
1988-10 | 建築東京 | 東京建築士会 | 巻頭言 「日本建築美術工芸協会」設立にあたり |
芦原義信(日本建築美術工芸協会会長) | ||
1988-10 | 住まいの文化 | 芦原義信 | ||||
1988-10 | 21世紀に向けた金沢のまちづくりに関する提言書 | 21世紀に向けた金沢のまちづくり懇談会 | はじめに | 芦原義信 | ||
1988-11 | 昭和62年度日本建築学会賞 | 日本建築学会賞候補推薦書 | 推薦者:芦原義信(武蔵野美術大学教授) | |||
1988-11 | 東京ルネッサンスニュース | 東京ルネッサンス推進委員会 | 特別座談会「東京ルネッサンス」の意味するもの 21世紀に向けて文化豊かな新しい都市を創造 |
出席者 鈴木俊一(東京都知事) 芦原義信(武蔵野美術大学教授) 森英恵(服飾デザイナー) |
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1988-11 | 日本がわかる101冊の本 | TBSブリタニカ | 都市問題への深い独創的考察 芦原義信著「隠れた秩序」 |
木内進 | 著書「隠れた秩序」 | |
1988-12 | 月刊 年金と住宅 | 年金住宅福祉協会 | 街は背景としての美しさだね | 芦原義信(住文化研究協議会会長) 聞き手:中山賢介 |
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1988-12 | 東京人 | 点心 「アメーバ都市」開発への提言 |
芦原義信 | |||
1988-12 | 公共建築 | 営繕協会 | 第一回公共建築賞 審査を終えて |
芦原義信(第一回公共建築賞審査委員長) | コンペ | |
1989 71歳 東京大学名誉教授 | ||||||
1989-00 | 連合会だより | 東京都土地区画整理連合会 | 講義 「まちづくりと都市景観」 |
芦原義信(芦原建築設計研究所所長 武蔵野美術大学教授) | ||
1989-01 | 週刊新潮 | 週間新潮掲示板 | 芦原義信 | |||
1989-01 | 週刊新潮 | 掲示板へのご返事 | 辻敏雄 | |||
1989-01 | 建築文化 | 彰国社 | 芦原義信氏が芸術院会員に | 記事 | 日本芸術院 | |
1989-01 | 新都市 | 都市計画協会 | 良好な都市環境の創造をめざして | 対談 井上孝(都市計画中央審査会会長) 芦原義信(建築家) 司会:是月アンナ(環境デザイナー) |
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1989-02 | MCM 建設月報 |
座談会 「ふるさとづくり」 |
芦原義信(武蔵野美術大学教授) 木村尚三郎(東京大学教授) フランソワーズ・モレシャン 司会:西谷剛 |
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1989-02 | 環境造形会議 潤いある街づくりへの提言 |
甲府市・甲府市教育委員会 | 会議記録 | 蓮田修吾(造型家) 芦原義信(武蔵野美術大学教授) 一柳慧(作曲家) 南雲龍(造型家) 原忠三(甲府市長) 楠恵明(甲府市教育委員会教育長) |
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1989-02 | グラフNHK | NHKサービスセンター | 再録コーナー 靴を脱いで家に入るという習慣が、内と外の空間に対する考え方に影響しているのではないでしょうか |
芦原義信 | ||
1989-02 | 週間現代 | コメント (黒川紀章VS丹下健三 平成元年のドロドロ戦争) |
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1989-02 | 家とまちなみ | 住宅生産振興財団 | まちづくり設計競技 審査報告 |
芦原義信(審査委員長) | ||
1989-03 | 銅Щ 建築 空間 | 日本銅センター | 装飾材としての温かみ | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | ||
1989-03 | 東京大学百周年記念事業 報告書 | 記事 東京大学本郷記念館(正式名称「東京大学御殿下記念館」) |
東京大学御殿下記念舘 | |||
1989-03 | 東京人 | 点心 東京の新しい秩序を求めて |
芦原義信 | |||
1989-03 | 北海道立帯広美術館 構想設計競技作品集 | 北海道住宅都市部 | 審査講評 全体講評 |
芦原義信(審査委員長) | ||
1989-03 | 甦る家 東京ガスハウジング作品集 |
東京ガスハウジング | 対談 住まいにクリエイティブな空間を |
芦原義信(建築家 芸術院会員) 北村龍蔵(東京ガスハウジング社長) |
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1989-03 | 第3回農村アメニティー・コンクール 優良事例集 |
国土庁・地方振興局 | 審査委員の感想 人間全体の文化を含む観点で考えたい |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1989-04 | こんな快適なむらがありました(III) | 農村開発企画委員会 | 審査委員の感想 人間全体の文化を含む観点で考えたい |
芦原義信(農村アメニティー審査会長) | ||
1989-04 | 季刊 じょ・は・きゅう | 建築家・芦原義信の世界 | 記事 | |||
1989-04 | TOKYO | 東京都生活文化局 | Art and Culture Hall | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1989-04 | 新建築 | 新建築社 | 大江宏先生の霊に捧ぐ | 芦原義信(芦原建築設計研究所所長) | 大江宏 | |
1989-04 | 東京人 | 東京都文化振興会 | 点心 東京の新しい秩序を求めて |
芦原義信 | ||
1989-04 | 学士会会報 | 学士会 | 二十一世紀の住まいと文化 | 芦原義信(武蔵野美術大学教授・東大・工博・昭17) | ||
1989-04 | 岡山市表一丁目地区市街地再開発事業 | 岡山市 | 岡山シンフォニーホール | |||
1989-05 | ja | 新建築社 | 紹介記事 The Hidden Order |
著書「The Hidden Orde」 | ||
1989-05 | 学内広報 | 東京大学広報委員会 | 記事 名誉教授の称号授与 |
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1989-05 | 卒業設計作品集 1989 |
卒業設計に望むこと | 芦原義信(建築家) | |||
1989-05 | 第十二回 マルコ・ポーロ賞 |
イタリア文化会館 | 選評 | 選考委員 芦原義信 加藤周一 都留重人 |
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1989-05 | 第二回 ピーコ・デッツラ・ミランドラ賞 |
イタリア文化会館 | 選評 | 選考委員 芦原義信 加藤周一 都留重人 |
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1989-05 | 石川 自治と教育 | 石川県自治と教育研究所 | 二十一世紀に向けての街づくり | 芦原義信 | ||
1989-06 | チャイム銀座 | KSDコーポレーション | 週末はサウナで心をカラッポにする | 芦原義信(建築家) | サウナ | |
1989-06 | 建築設計資料 空間 SPACE 体育館 | 4枚の鉄骨HPシェルによるアリーナ | 記事 | 駒沢公園体育館・管制塔 | ||
1989-06 | 潮 | 潮出版社 | 朋友 | 記事 | ||
1989-06 | 週間新潮 | 新潮社 | 秘蔵の一点 清里北澤美術館 |
記事 | 清里北澤美術館 | |
1989-06 | 連合会だより | 東京都土地区画整理連合会 | 昭和63年度 東京都土地区画整備連合会 研究総会報告 |
記事 | ||
1989-07 | 書斎の窓 | 対談 となりの芝生 |
芦原義信(東京大学名誉教授) 石井紫郎(東京大学法学部教授) |
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1989-07 | 文部時報 | 著作権:文部省、発行:ぎょうせい | 座談会 文化の国際交流について 現代舞台芸術の交流を導入として |
芦原義信(建築家) 伊藤京子(声楽家) 鈴木忠志(演出家) 司会:遠山敦子 |
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1989-07 | ぴあ | ぴあ | 日本の歴史・民族を語る 城址の中の巨大な博物館 |
記事 | 国立歴史民俗博物館 | |
1989-07 | ぴあ | ぴあ | 都立芸術文化会館を核に、池袋西口エリアの再開発が本格的に始動 | 記事 | 東京芸術劇場 | |
1989-07 | 都市主導の時代 創立30周年記念研究 |
日本都市センター | 都市主導研究委員 | |||
1989-07 08 | 書斎の窓 | 有斐閣 | 対談 となりの芝生 |
対談 芦原義信(東京大学名誉教授) 石井紫郎(東京大学法学部教授) |
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1989-08 | The Historu of Hokkaido Institute of Technology | |||||
1989-08 | 住まいのニュートレンド | 朝日新聞社広告局 | 水と緑で風通しのよい街に | 芦原義信(建築家) | ||
1989-08 | Japan Society Newsletter | JAPAN SOCIETY INC | Chaotic Tokyo A Hidden Order | Yoshinobu Ashihara | 著書「The Hidden Orde」 | |
1989-09 | NEXT | 講談社 | 露天風呂の歓び | 芦原義信(建築家) | 風呂 | |
1989-08 | 太田実建築作品集 | 「太田実退官記念事業会」実行委員会 | 一貫した姿勢 | 芦原義信 | ||
1989-09 | BIGMAN | 世界文化社 | 都市・建築・オフィスそして人間 | インタビュー 芦原義信 野口一夫(インタビュアー) |
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1989-09 | Australian PLANNER | NEW BOOKS AND PUBLICATION The Hidden Order |
記事 | 著書「隠れた秩序」 | ||
1989-09-21 | サライ | 小学館 | 世界中の入用剤を、庭の露天風呂で楽しんでいる | インタビュー記事 | 風呂 | |
1989-10 | 南イタリアの集落 | 学芸出版社 | チステルニーノの思い出 | 芦原義信 | ・・・アルベロベッロの街をのけてしばらくいくとはからずもチステルニーノという小さな田舎街に出会ったのである。この街はまさに一軒の大きな家のような都会であり、その中央にイタリア特有の広場があった。そしてその広場に面して床屋があった。その床屋の親父さんはにこにこしながら広場にでてきてわれわれ珍客を迎えてくれたのである。 | |
1989-10 | 第51回 全国都市問題会議 都市とアメニティー |
全国市長会 | パネルディスカッション 都市とアメニティー | 藤森照信(コーディーネーター) 芦原義信(建築家) 如月小春(劇作家) 佐藤晃一(愛媛大学教授) 千田謙蔵(横手市長) 加藤寛嗣(四日市市長) |
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1989-10 | 第51回 全国都市問題会議 都市とアメニティー |
パネルディスカッション アメーバー都市論 --中心の喪失-- |
芦原義信(建築家) | |||
1989-10 | 景観づくりを考える | 技法堂出版 | 都市と文化(特別講演) | 芦原義信 企画構成 細川護熙(熊本県知事) 中村良夫(東工大教授) |
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1989-10 | 文部時報 | 文部省 | 座談会 文化の国際交流について |
出席者 芦原義信(建築家) 伊藤京子(声楽家) 鈴木忠志(演出家) 司会 遠山敦子(文化庁次官) |
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1989-11 | I.M.ペイ氏 建築を語る 第一回世界文化賞受賞記念 |
産経新聞社 | ハーバードでの私の大先輩 | 芦原義信(東京大学名誉教授) | I.M.Pei | |
1989-11 | I.M.ペイ氏 建築を語る 第一回世界文化賞受賞記念 |
産経新聞「建築面」に期待 都市計画にもスポットをあてて |
芦原義信(東京大学名誉教授) | |||
1989-11 | 新世紀への塗・漆 '89ジャパンデザインコンペディション石川 図録 |
89ジャパンデザインコンペディション石川実行委員会 | 審査を終えて | 栄久庵憲司 芦原義信 粟津潔 白泰元 小松喨一 |
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1989-11 | 市政 | 全国市長会 | 第51回全国都市問題会議 | 記事 | ||
1989-11 | aaca'89京都シンポジウム記録 | 日本建築美術工芸協会 | シンポジウム 「都市文化と建築・美術・工芸のかかわり」 |
パネリスト 朝倉摂(画家、舞台美術) 芦原義信(日本建築美術工芸協会会長) 梅原猛(国際日本文化研究センター所長) 清水九兵衛(彫刻・陶芸家) |
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1989-12 | 商業施設 | 商業施設技術団体連合会 | 芦原義信前会長 勲二等瑞宝章に輝く |
記事 | ||
1989-12 | 静岡県のまちなみ 美しい都市景観 |
静岡県都市住宅部計画課 | はじめに | 芦原義信(建築家・東大名誉教授) | ||
1989-12 | NEW YORK TIMES | NEW YORK TIMES | NONFICTION THE HIDDEN ORDER |
記事 Judith Shulevitz | 著書「隠れた秩序」 | |