掲載年月 | 掲載誌 | 発行 | タイトル | 執筆者 | 書き出し・抜粋文章 | 備 考 |
1940 22歳 | ||||||
1940-00 | 『欧羅巴建築に於ける東洋的要素』 | 建築学科一年 蘆原義信 | 『ヨーロッパ建築に於ける東洋的要素』 一、東洋と建築歴史地理学 二、各論 ギリシャ、ビサンツ、ルネサンス、ロココ、セセッション、近代建築 三、東洋と日本 |
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1946 28歳 | ||||||
1946-05 | 東京新聞 | 東京新聞社 | 銀座と新宿 | 蘆原義信(建築家) | 最近の銀座を歩く者はそのすっきりした片流れ屋根の連続商店に眼をみはるであろう。そして新宿を歩く者はあの無気味な軒屋根のついた金属板張りの商店にぞっとしたり、看板の文字を右から読んだり左から読んだり、出たり凹っこんだりした軒並みにつまづきながら更に滅茶苦茶な色の配合に一驚せざるを得ないであろう。 | 街並み |
1946-11 | 建築詩『住宅は家具の様になる!』 | 蘆原義信 | ほんとうに人々が快よい生活をおくり度いなら、少しでも人々が文化的ままといをみにつけたいなら、きっとこのことを承認してくれるに違いない! 住宅は家具のようになる! きっと自由な家具の様なものになる! | |||
1947 29歳 | ||||||
1947-02 | 婦人公論 | 婦人公論社 | 伸びたり縮んだりする家 | 蘆原義信 | ほんとうに人々が少しでもよい生活をしようと思ったり、また少しでも文化的雰囲気にひたりたいと思うなら、きっとこのことを承認してくれるに違いない。住宅は伸びたり縮んだり買いかへたり | |
1947-05 | 第一回報告書 建築生産研究所設立趣旨 |
蘆原義信 | ||||
1948 30歳 | ||||||
1948-07 | 産業と産業人 | 真夏の昼の夢 | 蘆原義信 | 果てしなく茫漠とした、しかし、その間を傷み疲れた電車が走りめぐる。東京の木造低層建物を整理し、いっそ鉄筋コンクリートのような不燃性の五、六階建ての建物をつくったらどうだろ。 | ||
1948-12-17 | タイムズ | 建築と人間性八幡ヘルスセンターに就て | 蘆原義信 | 八幡の中央区の丘の上に一年ぶりに鉄骨鉄筋コンクリート造の建物が出来上がった。これは日鉄八幡健康保険組合のヘルスセンター(保健室)でこれの公衆衛生上の意義や社会的意義に付いてはその専門家の意見を待つことにして設計者としての建築的な考え方に付いて述べてみたい。 |
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1949 31歳 | ||||||
1949-02 | 建築雑誌 | 日本建築学会 | 日本製鉄八幡健康保険組合 | 記事 | 保健館 | |
1949-03 | 僕らの都市計画 | 皆さんのお父さん、お兄さん、お姉さんの中で、お役所につとめていらっしゃる方もある事と思います。今度官庁勤務四十八時間制というのが出来て、朝早くからお勤めに出なければならないので、各家庭では悲鳴をあげていると新聞は報道しています。 | ||||
1949-04 | 建築文化 | 彰国社 | 日本製鉄八幡健康保険組合 | 蘆原義信 | 要旨 八幡製鐵所健康保険組合が二十週年の記念事業として『ヘルスセンター』(保健館)を計畫した事は甚だ意義深いものであろう。從來の病院の様に病氣にかかった人々を対象とすると云うより健康の人々を病氣から守る爲の施設であるから、健康診断や指導啓蒙が中心となっていて、すぐ隣にある製鐵病院と一体となって完全なる機能を果している。 | 保健館 |
1949-08 | 建築文化 | 彰国社 | 現代住宅設計の新傾向 | 蘆原義信 | 1949年の現在住宅の傾向はどうなっているのだろうか。アメリカの建築家達はどう云う事に最も力を入れて住宅を設計しているのだろうか。それが又日本の建築家の傾向とどう云う風に異なっているのだろうか。 | |