東大最終講義
銀座通り 袖看板に関する調査
第一次輪郭線と第二次輪郭線
の見え方
外壁における建築素材の比率
芦原義信  東大最終講義
第3章 街並みと建築外観の見え方
 さて、そんなことで、私がいままで考えてきたことを、さらにゲシュタルトの「図」と「地」というような関係において発展させてまいりますと、次に、どういうことが起きてくるかということであります。それは、たとえば、街並みの分析で、内部と外部との空間の境にある壁のあり方が、どういう状態にあるかということが、さきほどからいっていますように、非常に関心事でありますが、そのうち特にわが国の壁のあり方というのが、さっき申し上げました兼好法師的な、非常に流動性のあるもの、あるいは非常に面が捉えにくいもの、というようなことで、ゲシュタルトの「図」と「地」との関係が、非常にはっきりと出てこないということであります。
  それに対して、一つ考えられるのは、なにか繁華街のようなもので、たとえば銀座の街並みの分析をやってみる、ということであります。銀座の街並みについて、袖看板の数を実際に調査してみる。これは、どういうことかと申しますと、本来街並みのイメージアビリティというか、形を決めているのは建築の外壁であるはずでありますが、わが国の繁華街の場合は壁面から袖看板が出ている。袖看板が1メートル出ることによって、角度によっては、全然その側の壁面が見えなくなる。壁面からだんだん離れるにしたがって、壁面が見えてまいります。これは計算すればすぐわかることであります。銀座について分析してみますと、銀座は1丁目から8丁目まで西側と東側とありますが、総延長がだいたい900メートル、それに対しまして袖看板が、上から下までを1列として考えますと、だいたい西側で111、東側で88――これは百貨店があると少し少なくなる――、だいたい10メートル歩くごとに袖看板が1つあるという勘定になります。そうしますと、少なくとも銀座通りを歩いているときに、壁面の印象というものは入ってこない。たとえばそれを、グラフから写真にしてみますと、こういうことになりまして、これは、銀座通りを壁面から3メートル離れた歩道のところでとった写真、それから、さらに6メートル離れたところでとった写真、それから、中央へいってとった写真、さらに、反対側の壁面から6メートル離れてとった写真、3メートル離れてとった写真であります。道路幅がだいたい27メートルぐらい銀座通りはございます。この袖看板だけをこの写真の中から取り出しまして黒く塗ってみますと、中央におきましては、左右だいたい同じ程度のバランスになりまして、壁面――この白いところですが――も、ほぼ見えます。しかし、こちら側の3メートルぐらいのところですと、ほとんど黒くなってしまって、反対側は見えます。ことらも同様でありまして、こちら側へくると、こういうふうに真黒になって、反対側が見えるということになる。
  これは、まあ当然のことでありますが、ということは、どういうことかというと、少なくとも袖看板がある限り、歩道が広くて、壁面から離れていれば離れているほど、壁面の印象は強くなるでありましょう。特に歩行者天国のように、真中の車道に出られる、あるいは横断歩道を渡っていくとき見る、あるいは、スクランブルのとき出ていくと、街の空間の認識としては異常な高まりを持つというようなことが、あると思いますが、それは、こういった理由でも説明できるのではないかと思います。
  これは、この壁面の内と外との境が、いかにわが国の場合はぼやけているかということを示すものでありまして、これは、文学にも、あるいは絵画にも表われていると思います。だいたい日本の画家も西欧に行きまして絵を描くと、非常に描ける。たとえばパリだとか、ベニス、ローマあたりへ行って描くと、われわれでもかなり描けます。それが日本へ帰ってくると描けない。描けない理由は、このとおりであろうと考えます。たとえば、この壁面で規定される輪郭線を、「第一次輪郭線」とし、この壁面以外の、たとえば電柱であるとか、いろんなサインであるとか、あるいは置いてあるもの、動くもの、ヒラヒラするもの、春秋の売出しのなんとか、そういったものをすべて「第二次輪郭線」として分けて考えますと、第一次輪郭線と第二次輪郭線の比率が、わが国では圧倒的に第二次輪郭線が多くて、場合によっては、第二次輪郭線しか見えないというような状景すら、あるわけであります。これで絵を描こうというのは、たとえば美人の顔を、全部絆創膏と包帯で巻いて、どういう顔をしていたかわからない。(笑い) 滞欧作品はできても、滞日作品というものはちょっと描けない。文学に於いても奥野健男さんなんかもいっているように、昔は、漱石あたりは、この本郷だの下谷だのを克明に書いた。最近は、書こうたって書けない。書けないはずで、何がどうなっているかわからないような顔の描写をするということは、容易でないことでありまして、これは、建築の内と外の関係が、極めてゲシュタルト的でない、「図」と「地」との関係が非旧常にぼやけているからだと考えられます。
  さらに、建物の外観の見え方というような問題について、大学院の学生と研究をやりましたが、たとえばこの表を見ていただきますと、建物の外観におきまして、外壁における建築素材の比率を、たとえば、東京海上ビルと霞ヶ関、日本IBM、富士フイルム、NHK、新宿三井や、アメリカのシーグラム・ビル、あるいは、チェース・マンハッタン・ビル等について分析してみますと、石、ガラス、金属パネルというようなものの比率は、表のようになります。それを今度は、建物の見え方からいいますと、これが室内で、これが外部、サッシュが外に飛び出しているものと、サッシュがこういうふうに内部に引っ込んで、強度を保っているものとの外観の見え方というのは、ちょっと斜めの方に行ってみますと、このように、サッシュが飛び出ているものは、いまいった袖看板の理由と同じことで、ガラス面が非常に見えにくくなる。この引っ込んでいるもの――たとえば新宿でいえば、三井ビルのようなもの――、これは、どこまでいってもガラス面がかなり見えます。さっきのガラス率、あるいは、石だとか、他の金属パネルとかそういったものもさることながら、このサッシュの飛び出し方、そういったものによってこの外観はかなり違ってくる。元来真正面から見れば非常にガラスっぽくて、さっきの表ではガラス率が多くても、横の方へ行くとガラスの見え率が非常に減る建物と、逆にどこまで行ってもわりと見えやすい建物とがあります。これをいろいろ分析してみますと、シーグラム・ビル――これは、皆さんご承知のニューヨークのパーク・アべニューにある非常に奇麗なビルでありますが――、これを見ますと、ミースは、縦方向のマリオンが16センチぐらい飛び出しているのに対して、横方向のスパンドレルはだいたい平らでありますから、上から下に対しては、サーッと見えますが、ちょっと横に行くと、いまの理由でガラス面は見えなくなる。ところがシーグラム・ビルは真中に玄関がありまして、両脇は池になってまして、この両脇に行かれないようになっている。ということは、これを下から上へずうっと眺めるには大変都合がいいのでありますが、横からは見にくくしてあるのであります。次に夜景について、ミースは非常に考えたのではないかと思われるのは、たとえば(旧)東京都庁のように庇が出ている建物、これは昼、陽が当たりますと強烈な影が出まして非常に強い印象を持つ。ところが夜になりますと、今度は、今のマリオンを横にしたような理由で、こんどは、仰ぎ見るとガラス面が見えなくなるということがあります。シーグラムの場合、いまのように横線に関しては出張っているものはない、縦線だけある。ということは、つまり夜景を意識した建物であるということがいえると思います。
  さらに今度は、夜景の問題でありますが、やはり「図」と「地」の転換、あるいは外壁のあり方というので、大学院の学生と夜景の研究をやっておりますが、たとえば昼間建物を見る場合、この建物の外壁によって建物を認識している。窓は黒く引っ込んだものになっております。それが、夜景になってまいりますと、あたりが暗くなるにつれ外壁がだんだん見えなくなってくる。そして、今度は、窓に灯りがついてくるというような情景になります。その場合に、建物からの距離を、100メートル、200メートル、300メートル、400メートルと分けて観察してみますと、100メートルぐらいで見ると、たとえば新宿の超高層ビルを観察してみますと、螢光灯がずうっとじかに見えまして、窓の認識というよりも螢光灯の認識のほうが強くなります。それが、だんだん離れて、たとえば800メートルぐらいのところへ行くと、螢光灯という形でなくて窓が一つのゲシュタルトとして浮かんでくる。そして完全に壁面が見えなくなるという点が出てまいります。だいたいみんなで800メートルぐらいで、「図」と「地」とが逆転するなあということになってまいります。
  夜景の美しさということは、都市にとって非常に重要な問題であります。たとえばネオンのようなものを考える場合、われわれ建築家は、一生懸命建築のプロポーション、あるいは塔屋のプロポーションを考えて、こんなものを取りつけられてたまったもんじゃないと思いますが、そのたまったもんじゃないものが、夜になるとなんとなく美しく見える。これはどういうことかといえば、極めて簡単な理由でありまして、さっきいったように、夜になれば建物が見えなくなってくる。そうすると今度はネオンだけが浮かんでくるということになります。これは、たまたま奇麗な和服を着た女の方が、なにか変な羽根のついた帽子をかぶればおかしいんだが、和服のほうがすうっと消えてくれれば、帽子だけ見れば見られるということと同じことでありまして、夜景の美ということも大切です。たとえば、ゴシックの建物というのは、昼見れば奇麗なのです。バロックの建物のように彫りが深く、非常にいいんでありますが、これが夜になると、やはり、石のかたまりにならざるをえない。夜景というものを強く意識しだしたのは、おそらくあのシーグラム・ビルではないかと思います。これには、非常に考えたような痕跡があります。直接聞いたわけではありませんけれど、たとえば、電気が一斉点灯する、各部屋にスイッチがなくて、一斉点灯する。勝手に消せない。ということは、ゲシュタルト的に考えて、窓が明るかったり暗かったりすると、非常にミースは困るのであろうと思います。それから窓側から何メートルかまではいろんなものをつけちゃいけない、勝手なカーテンはつけちゃいけないということがあります。そして、ディテールを見るとよくわかりますが、窓台が低くしてあって、ペリメーターの空調器をわざわざスラブの中に入れて、背を小さくしている。逆に「図」と「地」を転換してみたときも、非常に美しい建物であります。それに対して、横にいろんなものを出したり、窓面を深く引っ込めますと、昼は彫りが深くなりますが、夜になると今度は、彫りが深いということはガラス面が見えにくいということになりまして、さっきいった形が斜めになったり、ゆがんでくるのでありまして、これが夜景として非常にむずかしい問題になってくる、というようなことであります。
  そんなことやこんなことから、建物の形を規定する線、壁のあり方、これが、いまいった第一次輪郭線、第二次輪郭線から、いずれは夜景の問題にまで、いま発展してきております。そして、今後この壁のあり方というような問題につきまして、いったいどんなふうになっていくんだろうかという点。それについて、いろいろ考えなければならないと思いますが、その境界線に非常に浸透性があったり、受け入れる面、あるいは拒否する面、アミーバ状に滲み出したり、あるいは浸透した線のあり方、その辺の「図」と「地」との間の線のあり方ということが、街並みや、建築の外観等を決める上で、非常に重要な意義があるのではないかというふうに、考えているわけであります。
  以上で、建築空間の研究の問題について終わらせていただきまして、あと余った時間について、どのようにして建築家になったかということについて、簡単にしゃべらせていただきたいと思います。